福永光司、上田正昭、上山春平『道教と古代天皇制』1978,日本の神道は道教由来という講演集

京大系の大家らによる講演集である。出版は徳間書店、ちょ
っと内容からして意外な出版元ではある。
講演集である。神道とは日本だけのもの、と考えがちだが実
は中国の由来であり、中国こそが遥かに古い伝統を持つ、とい
うのだ。福永光司は中国古代哲学、特に荘子の研究で名高い、
天上の神仙世界を理想とする道教は日本の神道の実はルーツで
あるというのだ。道教を中国では古くから神道と呼んでいたの
である。
この中国の神道は外来宗教である仏教を早くから意識し、こ
れに対抗する中国固有のものという自負があった点で日本の神
道と共通性があるというし、「晴明の道」を強調したり、「惟
神」という言葉があるなど、日本の神道と共通性がある。
この点については江戸時代の学者もある程度は気づいていた
ようで本居宣長は「老子の説、まことの道に似たることあり」
と述べている。また平田篤胤は日本の神道が中国に渡って道教
になったと方向が逆のことを述べている。
道教では宇宙の最高神を天皇(てんこう)と呼ぶ、さらに人生
と世界の根源的な真理を体得した人を「真人」と呼ぶ。日本の君
主を天皇と呼ぶのは、当然深い関係がある。ただ日本で天皇とい
う呼び名が出来たのは無論、漢字伝来以降のことであり、4世紀
以前に日本で天皇という呼称があったとは考えられない。天武天
皇の諡の最後の「真人」まひと、も道教の真人に由来するという
べきであろう。
天皇位の象徴としての鏡と神器と剣、これも道教の影響とみな
せる。鏡と剣が宗教的な霊力を持つとの考えは、古代中国に遡る
ことが可能だが、この二つが帝位の象徴たることは、資料的にも
証明されている。紫が皇室の象徴であることも、中国の神仙思想
との関係である。あんぜなら儒教では中間色の紫を卑しい色、と
sるからである。これに対して道家の思想家たちは神仙の思想家
である。
国号の大和、やまとも、実は関連がある。「大和」は神仙道家
にとって重要な言葉であり、概念である。地上世界の人間の乱れ
争いなどが克服された晴明の世界を大和、というのである。天上
世界の形容である。
日本人は多分、倭人の倭という字を嫌って「和」を用い、さら
に道教から大和を借りたのではないか、という。
中国古代思想の福永光司、日本史の上田正昭、哲学の上山春平
らの、なかなか痛快でもある講演なのである。
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