開高健『ロマネ・コンティ・一九三五』文春文庫、古ワインが古美術の輝き、自らの髄液と化す

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 開高健さんは本当に釣りとお酒がお好きだったようだ。お
酒はワインである。ワインと釣りについてのエッセイはその
まま小説となってしまうようだ。なんというのか、一瞬に、
真実を発見し、鋭い分析を行うのだ。「私の血液はワインで
出来ている」と言ったワイン愛好の女優のように、開高健さ
んもワインが血液化しているようだ。また釣りも醍醐味に満
ちている。・・・・・・私自身、釣りは殺生であること、ま
が健康に害悪となることも多く、結果、釣りは好きではない。
だがワイン愛好は素晴らしいと思う。

 この本は1978年に文藝春秋から刊行され、その後、文春文
庫に、現在は古書扱いである6篇の作品が含まれている。ワイ
ンと釣りが基本に流れている。表題作は「ロマネ・コンティ・
一九三五』

 そもそも「ロマネ・コンティ』とは何か、である。ブルゴー
ニュのロマネ村にあるピノ・ロワール種の特急のブドウ畑であ
る。その畑からで栽培されるブドウを使用しての赤ワインであ
る。ロマネ・コンティの畑の広さはわずか1.8ヘクタール。日当
たりがいい場所であるという。

 つまるところロマネ・コンティの歴史を述べるだけで十分以
上に分厚い本になる、わけだが、その1935年版ということにな
る。

 この作品には二つのワインを比較を行う文章がある。

 まずは6年もの

  「グラスは変貌していた。瑪瑙の髄部だけで作った果実の
ようなものがそこにはある。いや、それに似せていながら、定着
もせず、閉じもせず、深奥を含みながら晴れ晴れとしたものであ
る。太陽は濁って萎び、広い干潟をわたってくるうちに大半を喪
ってしまうものが、それでも一条か二条かの光めいたものがまた

 それに対比で古美術のような37年もの
 
 「暗く赤い、瑪瑙の髄部のような閃きはなく、赤からはるかに
進行し、褪せた暗褐に近いものとなっている。さきの、ラ・ター
シュは無垢の白い膚から盛れて朝の日光の中にほとばしり出た血
であったが、これが包帯に染み出て何日かたち、かたくなな顔つ
きでそこにしがみつき、もう何事も起こらなくなった古血である」


 古ワインの描写で本当に、よくそ、という密度の高い表現が続
く。37年ものという貴重なワインの「衰退」を、唇にのせたとき
の第一撃で「すでに本質があらわになる」という驚きの深い記述。

 ワインの記述がそのまま、人間の内部の髄液のように感じられ、
秘められた精神の質のように感じられるという著者の透徹のワイン
観であるというのかどうか。

 ちょうど古いワインのように、衰退した心を抱く著者が、休戦
下のサイゴンの街で、精神の一瞬の透明化をめざし、アヘンを吸
引するという作品もいい。

 まことにその深みある記述には驚かされる本だ。

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