来水明子『涼月記』1962,明智光秀を理想主義者と描く長編

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 来水明子、くるみ・あきこ、本名が胡桃。1932~1999,都
立駒場高校から高卒で参議院速記養成所に、卒業し速記課に
勤務、そのかたわら小説を執筆、1962年、最初の長編小説『
背教者』が直木賞候補に、・・・・・・明智光秀を描いた小
説は数多い、その真相は諸説ある、だが歴史の真実を完全に
知るすべはない。いかに明智光秀という人物を造形するか、
作家の力量が問われる。

 東都書房という出版社から刊行されている。明智光秀という
一人の人物を織田信長との対立を軸に十分にったっぷり描きこ
んだ長編小説である。年齢は刊行が30歳だから、無論、その相
当、前から書き始めていたはずである。直勉強しているな、と
云うのがまず第一印象だが。

 明智光秀が実際、どのような人間だったのか、真実は分かる
はずもない、どちらかといえば、やはり内に感情を秘めて溜め
る、暗い性格、また陰険な人物というイメージをいだきやすい。
それはそれで自然だが、確かなことぉ知るすべはない。信長公
記などが本当に正確な内容かどうか、まったく保証の限りでは
ない。必ず歪曲、捏造があるはずだから。

 逆に言えば明智光秀という人物を作家は自在に造形できるわ
けである。来水明子はチャンレンジ的にこの一般的な通念を破
壊し、透徹した理想主義者として作品をこしらえている。

 来水明子はこの作品の前作『背教者』で直木賞候補に挙げら
れたが受賞に至らず。まだまだ30歳になるかならぬかの、若さ
である。その表現描写、文章はまだまだちょっと未熟かなぁ、
と思わせる部分が少なくない。光秀の人間性について

 「これは恣意的な、感情的な好悪に従うて行動されても決し
て誤らぬまでに、論理なり、ひいては倫理感が御自分のものに
、血肉になっていらっしゃるからだ」という、よくぞヌケヌケ
、という多少反発を覚えるような目障りな表現もある。だとし
てもその構成力はなかなかたいしたもので、人間劇として読者
を引き込むものはある。
 
 なんというのか、ちょっとあまり他の作家で見いだせない、
ゆうゆうたる息の長いペースdえ、徐々に盛り上げていく、と
いう力量はなかなかのものだろう。

 来水明子は、信長に仕え、寵愛を受けながら、同時に光秀を
敬愛し続けた一人の能役者を語り手にして、その目を通しての、
信長、光秀の根底で相容れない、宿命的な感情の衝突を実に丹
念に積み上げていく手法だ。信長の気短な性格、発作的な残忍
さの極み、対して澄んだ瞳の怜悧な光秀、すべてを見抜き、新
しい武家政治の確立という理想に燃えていたその実行の勇気を
持つ武将として尊敬を込めて描いているようだ。実際、どうか
は誰にもわからないのだから。

 対して信長は光秀の知的な帰依に逆にイライラを募らせる。
不意に凶暴になる。たまに信長が下手に出ると光秀は突き放す。

 ということだが、心理劇ばかりではなく、語り手の身の上に
生じる幾多の変転、許嫁の思わぬ処刑、本能寺の変の思わぬ意
外な菊花絵を作り出す挿話から家康も登場、秀吉も、でも、こと
さら微分帳に走る傾向が強すぎると思う。でも若さを思えばその
人物造形、構成は何か骨太である。

 だが、著者のその後の作家生活はどうであったのか、元来は
山本周五郎に師事したと云うが、作家生活は長く続かなかった
ようだ。

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