川端康成『片腕』1965,川端流「夢十夜」のような幻想か、怪奇譚の本音はなにか
元来は1965年、昭和40年に新潮社から出た短編集の標題作
が『片腕』である。これは実に久々の短編集だったようだ。
つまるところ川端康成は短編作家である。掌の小説が川端の
文学の真髄、だから稲垣足穂が云う「千代紙細工」である。
長編は正直、数多くの疑惑があると言わざるを得ない。
とにかく脆く鋭くもあり、一種の気味悪さを呈している短編
が多い。
表題作の『片腕』こそが実際、問題作たり得る。最近なのか
どうか、現在、この「片腕』を入手となると「川端康成怪綺短
編シリーズ」か何か、の一冊となる。つまり怪綺談なのだ。
「片腕を一晩貸してもいいわ」と娘は言った。そして右腕を
方から外すと、それを左手で持って私の膝の上においた。・・・
という確かに怪奇なスタートである。主人公は老人のようだ。
娘の片腕を借りて、「孤独が住んでいる部屋に帰り」その片腕
と一夜をともにする。
娘の片腕は娘の言葉を話す。老人はその片腕を愛撫し、幻想
する。娘は許す、老人は自分の片腕を外し、娘の片腕を自分に
付け替える。はじめは血が通わない、・・・・・やがて。老人
の血と娘の血が混じって、老人は眠り始める。目覚めると娘の
片腕は死んでいた。
ちょっと夏目漱石の『夢十夜』のようでもある。女体礼賛な
のか?まさに「夢十夜」の世界と似ている。実際にあるはずが
ない荒唐無稽な幻想だ。この小説は気色の悪い設定が数多いのだ。
気味悪い言葉ばかり並べるラジオ、女ひとりで運転する深夜の車
の空いた席に乗っている気持ち悪いもの、孤独の住んでいる空き
部屋、・・・舞台装置は悪夢の幻想だ、もしや川端はこれに多少
は似た夢を見たのだろうか。ただし漱石の『夢十夜』の方が同じ
怪奇譚でも文学性がはるかに深い。
怖いと云えば怖い話だ、川端の真意を知りたいような気持ちに
もなる。三島乱入割腹ののち、川端は怯えていたという。三島の
亡霊を見てギャーと叫んだ、ともいう。松村剛が川端に脅迫状を
送った、「あなたの長編は代作ばかりだろう」その脅迫状も松村
は代作させていた。しばらくして川端は自殺した。だからこの『
片腕』も笑って見過ごせないものはある。
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