樋口茂子『凍土』1960,三一書房、白川書院、二人のハムレットの独白で構成、たいした筆達者
1960年に京都の三一書房から、のちにやはり京都の白川書院
から、著者は前作『非情の庭』で話題をまいた京都在住の樋口
茂子、実質二作目だろうか、古書で入手可能だが、それほど多
くは出回っていないようだ。
二人の兄弟が出る。学生運動に挫折したような弟と戦争に
挫折した兄、1960年の刊行で’60年安保だから学セウ運動に挫折
なら分かるが、「戦争に挫折」はちょっと時期的にはどうか、
と思えるが。そのくらい青春を実に熱っぽく描いているわけで
ある。
弟は松村信二、京都市内の「たつや」という高級な旅館の次
男で大学教育学部の学生である。学生運動にいそしんでいた。
だがA市の勤務評定反対闘争で警官隊ともみ合って、一人の若
い警察官が重症を負うという事件が起こり、自分が加担してい
ないかと自己猜疑心に襲われ、運動から足を洗った。結果、一
種の自己の喪失に転落、挙げ句に「たつや」の女中で実は遊郭
上がりの典子という女に誘われて関係を結び、女に引きずられ
て心中未遂まで起こすが、自分だけが生き残る。
その兄、良念は旧軍隊の下士官から一旦は大学経済学部に進
んだインテリの端くれだったが、戦後の社会で生きる拠り所を
失い、出家して比叡山で修行中である。彼には菊岡悠子という
恋人がいるが、彼女は現在は新進のデザイナーとして名を成し
ている。おまけに良念の友人である進歩的な社会学者の黒田に
求愛されている。
その理想主義者の兄弟に対し、母親は現実主義の俗物の極み
である。彼女は満州で信二を救うため、末娘の久美子を絞め殺
している実績さえある。引き揚げてきて、たつたや、に身を寄
せるうち、行方不明の夫がありながら、政財界の有力者と関係
し、義姉を発狂死させ、旅館の主の義兄の後妻に収まっている。
つまり、だ、この物語は、デンマーク王妃を彷彿とさせるよ
うな女性の存在を背景に信二と良念の二人のハムレットが演じ
る独白の交換がメインであって、それが作品を構成している。
心中で失敗、生き残った信二は、兄の僧坊で療養中に、自分
の身代わり的に逮捕されている松原という学生が獄死したと聞
いいて、僧坊を抜け出し、飛び込み自殺を遂げる。良念は悠子
から、自分が出家した当時の思想を、理想を聞かされて、さら
に仏教にヒューマのズムの理想へ修業を続ける。
情婦上がりの母親の容赦ない現実主義や、やたら思い詰める
人間が多数出てきて、なん高息苦しいくもあり、メロドラマ的
でもあるが、これが実は日本のインテリの生態をよく描いてい
るようで面白い。
デンマーク王子、ハムレットは詩で独白するが、『凍土』
のハムレットたちが、むずかしいインテリ用語で議論する。
これだけ書ける女性作家も珍しい気はする。人生経験のせい
なのかどうか。
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