八切止夫『切腹論考』1970,中央公論、Kindle unlimited、「八切意外史』にまつわるエッセイ集
文壇の異端児、は明らかに不似合いで歴史観の異端児、八切
止夫のエッセイ集で無論、内容は「八切意外史」、現在はアマ
ゾンのKindle unlimitedでも読める。「切腹論考」、「士道論考」
、「捕物論考」、「ヤクザ論考:、「やくざ論考」、「演歌論
考」、「遊女論考」、「どろぼう論考」、「風刺論考」、「怪
奇論考」、「呪術論考」、「叛逆論考」、「忍術論考」など、
個性派を極める人だけに出版社からは避けられて自ら出版社を
設立し、自らの選集を刊行したりした。
八切さん、となれなれしく「さん」づけするが、呼び捨ても
著名過ぎる人ならいいが、そうでないと、さんづけがいいと思
うから。ともかく『信長殺し、光秀ではない』、『信長殺し、
秀吉か』、『謀殺、信長殺し、光秀ではない』など耳目を即座
に引きそうな話題作をかって連発、八切止夫の意外史のエッセ
イ集だ。満州で終戦、ある陸軍将校と二人で切腹し、自決しよ
うとしたら将校が命が惜しくなって切腹中止がペンネームの由
来ともいうから、異色個性派だ。
このエッセイ集は従来のチャンバラ物の枠をはみ出して、か
なる文化的な視点の考察だ。実はこの本を八切止夫は「私が生
きていたという実存のあかしになる本だ」とまで言い切ってい
る。読んでいくとそれが決して過剰な自画自賛でも誇張でもな
いと思い知らされる。
つまるところ、世間に流布している一般の通年はまず眉唾も
のであり、常識に反するようなことにこそ真実が含まれている
、ということなのだ。
例えばだ、どう腹に刀を突き当てても致命傷には極めてなり
にくいハラキリを、あたかも武士道精神のシンボルのごとくに
考えることへの疑念、である。切腹に入れ込んだ、三島由紀夫
に読ませたいようだが、この本はわずかに三島乱入後である。
「即死ではなく緩慢な死への道程に身を処して、そこで憤り
と口惜しさをぶちまけ、、こんな座間に誰がしたと抗議するの
が、切腹本来の姿でなく何であろうか」という謎解きだ。
1703年、元禄16年、から慶応3年までおよそ200年の間、代々
の首斬り浅右衛門が切腹の介錯をしたのは僅かに20人、しかも
その半数は安政の大獄での捕縛された武士である。まあ江戸伝
馬町の限られた数字だが、10年に一人の切腹は少ない。だが
それにしても、ハラキリがあれほど世に知られているのは、
刑場の取締にあたった弾左衛門一家が芝居興行を取り仕切って
いて、本職が演技指導するとでも錯覚、芝居のぶたいをそのま
まハラキリ作法だと鵜呑みにしからだ、ともいう。八切説は確
かに独創的だ、常識的思い込みを痛撃。
「ヤクザ論考」では映画館、高倉健のヤクザ映画など上映に
入ろうとしたら、どの映画館も満席、交番に極道一家がおしか
けて制服警官を小突き回す、その反権力性が当時受けた、と思
われるが、実際はヤクザ、右翼は権力者の何よりの一心同体の
仲間なのだ、という。本書で八切が引用の文面
「破防法を参院で通過させるため、当時、保利茂と法務総裁
の木村篤太郎から私に緊急電話が入った。(院外団団長の海原
清平の言葉だ)、学生連中が左翼議員から登院許可証をもらっ
て参議院になだれこみ、成立を妨害する動きがあったから、特
審局の情報によって、日本街商連盟総裁の私は各地の親分に
電話をして、腕っぷしの強い若い衆を百名余り集めてくれと。
で参院内に配置したら破防法は簡単に通過したよ」
ともかく無料で、といってKindle unlimited の会費はいるが
すぐ読めるものだ。最初は中央公論だ、論理は飛躍あっても、
常識の嘘を、欺瞞を叩き潰している。世に伝わること、ウソだ
らけということだろう、まして映画、演劇などだ。ましてや歴
史の通説などは、だ。
ただし私は信長殺しは光秀は動かせないとは思う。証言も揃
いすぎている。だが称えるべきは八切さんの反骨精神だ。
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