河野多恵子『不意の声』1968,非現実世界描写の前衛的作品だが、

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 現実世界と非現実世界を生きる、いわば異質な二つの世界
で生きる既婚、三十代女性を主人公とする。なぜそんな奇妙
なことになった、かというと結婚生活が思うようにいかない。
そこで亡くなったはずの父親が姿を表し、主人公女性に話し
かけるようになってから、だという。父親が亡くなったとき
、彼女は恋愛中だった。その結果、結婚したが、一年ほどで
急速に結婚生活が荒んで亡父の亡霊!が姿を現し始めた。そ
の声が日常聞こえ始めた、その亡父の存在が女性主人公を
ますます非現実の世界に生き、現実の不満、欲求不満の解消
を図ろうとする。・・・・・現実、非現実の二重生活とは云
うのだが。

 正直、どうせ前衛的人工的作品なら亡父などという、ダサイ
存在を据えてほしくないように感じた。こんな女性も実際、
いるのかもしれない。だが、たしかに誰しも非現実の世界に
生きる、いわば夢、幻想を持つことはある。だが亡父の声が
聞こえて、は一種の怪綺談的な妄想だ。非現実と云うなら、逆
にリアリティが必要では、と思える。それより結婚生活がなぜ
破綻に瀕し、荒んだのか、その状況がいい加減にしか述べられ
ていない気がする。逆に父親の臨終の模様はやたら力を込めて
書いている。あたりまえな?亭主の浪費癖、酒乱が語られるの
みである。

 実際、長編である。その「あとがき」で

 「この小説の主人公にとって、非現実はもう一つの世界は、
現実世界と全く変わらぬリアリティを持っている。その両者を
備えた世界こそ、彼女にとって本当の現実なのだ。したがって
、ふたつの世界のリアリティは同質のものでなければならない。
ところが、同質の現実的なリアリティである以上は、主人公
のその真実を活かそうとすればするほど、読者を混乱させる危
険が増す。その板挟みの克服を、どうすればよいのか」

 と苦心を生じに吐露しているようだ。「ふたつの世界が同質
のリアリティでなければ」という作者の目論見だが、努力の結
果そうならしめる、でなく、「同質のリアリティ」と自ら決め
つけているだけではないか。亡父の声に導かれ、非現実の世界
で故郷の母親を殺し、むかしの恋人の子供を幼稚園帰りに殺す、
正体不明の男を自宅の浴室で殺す、その殺しの描写はさすがに
上手いのだが、その動機なき殺人の残忍さは印象的だが、いっ
たい非現実と言いながら、実はこれぞ現実として描きたかった
のが本音だろう、と読者に見透かされそうだ。

 前衛的な実験的作品だが、文学性に欠けているのは否めない。

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