フラナリー・オコナー『烈しく攻むる者はこれを奪う』新潮社、預言者の少年の悲劇


 このタイトルはマタイ伝の中の文章からの引用らしい。
アメリカ南部の田舎、おまけに森の中の開墾地で狂信的だっ
た一人の老人が死んだ。老人は預言者と自認ていた。この
老人によって、次の預言者として育てられていた少年が残
された。老人を葬ろうと穴を掘ろうと試みるが、それは少
年には負担が重い。少年は密造酒に酔いつぶれ、眠り込む。
それから目を覚まし、家に放火し、老人も焼いたと思い込
んだ少年は地方都市に向かう。かって老人に預言者として
育てられ、それから逃げ出すためにも家を出た過去がある。

 周年は難聴者の教育を行っている伯父を訪ねた。教師は
障害のある子供と暮らしているが、少年を老人の狂信的な
教育の影響から救い出そうとする。少年は粗暴さでもって
それを拒む。

 この作品は現在と過去がかなるごちゃまぜで、混乱させ
られる。少年の考え、視点と教師の考え、視点も自在に混
ざり、進行するから、佐伯彰一のわかりにくい訳文をあっ
てかどうか、容易にこの作品には馴染めないと思う。まず
読めば誰しも分かりにくさに閉口しそうだ。だがマッカラ
ーズのアメリカ南部の空気と似ていて、そこにいきる人間
の重くのしかかるような、宗教的な濃密さは感じられると
思う。

 少年の名はターウォーター、教師の教えと指導を拒みつ
つ、その障害ある子に異常な関心をいだき始める。少年は
その子に老人から受けた洗礼を施そうとする

 作者、はマッカラーズと同じく女流作家、おなじように
若くして亡くなっている。タイトルにマタイ伝の一節を使
い、扉にその全文を載せている。少年は「烈しく攻むる者
」ということだろう。だが預言者となる少年には数々の災
難が襲いかかる。作者は小さめな厄災から大きな厄災に
向かう過程を描き出そうとしているのは分かる。

 教師は生涯の子と少年戸で小旅行に出かける、そこで
少年は障害のある子を溺死させる、そこから逃げ出す少年、
陰惨な悲劇が待っている。

 日本では高名なアメリカ文学者の佐伯彰一の訳文は批判
されるべきだろう、これでは読まれるものも読まれない。

 フラナリー・オコーナー 

 Flannery O'Connor 1925~1964

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