人生はスロースターターが正解だった


 実際、100年という年月、瞬時と言っていいほどだ。その
100年すら大半の人は生きられない、なぜ?人生を急ぎすぎ
るからである。小1の頃、よく互いに100までの数えっこを
やったが、本当にあっという間、電卓ができて間もない頃、
+1=の演算をやったら、よく意識的にやった、人生の短さ
を感じるためにである。100など当然瞬時、あっという間に
200を超える。・・・・・だからどう?1年は短くなるばか
り、だいたい人生の半分近くは寝ている。黄粱一炊の夢、と
は云うが現実はあまりに汲々として世知辛く、儚いものだ。
そこで要領よく生きられたらいいようなものだが、それが結
果としていい人生であったかどうかは、また別問題である。

 いろんな考えがあって当然だが、私は絶対に人生はスロー
に生きる、スタートもやたら遅い、スロースターターの生き
方に惹かれる、というかそれ以外には生き方を見いだせない、
のである。この世では大学に何度も行くやつは多い、とくに
国立大の歯学部などは医学部を望めども到底手が届かない、だ
が何回も挑戦、ついに達成という人もゼロではないが、結果と
して夢は叶わず国立大歯学部、というパターンは当たり前、で
三度目、四度目の大学入学なんかザラに近い、今はどうか知ら
ないが民間企業新卒は24歳以下が条件だった、今も似たような
ものだろう、公務員はまた別だが、・・・・・・

 つまるところ、世の常識的な枠組みから外れた人間は実に多
いのである。それがいいのか悪いのか分からない、分からない
が私は実は全然後悔はない、枠にはまらないと給与も入らない、
ましてボーナス、福利厚生とも無縁である。そんな人生が長か
った。そう云えば、若い頃?はバイクが好きで免許は何度も試
験場に通い、「限定解除」をゲットしたが、バイクなど買う金
がないのである。もしあったら、夢だったホンダのGL400に乗っ
てツーリングしていたと思うが、限定解除!という栄誉だけで
終わってしまった。いまはかっての魅力あるバイクはリリース
されてもいない。もうバイクに乗ることもない。ついに免許を
活かさなかった。

 はみ出す人間は不遇である、金には縁がない、でも奇妙な自
由ならある。急がない自由ともいえる。ガツガツ稼ぐこともな
い。そもそも稼げないが、それは不幸ではない。

 今のスタンスは100歳まではどこまでも持病の治癒を目指す養
生ということである。運動は適度に、を超えてはならない。過去
の苦渋も余裕で見過ごせばいい。急ぐ必要がないならば、である。
偉いやつなどクソクラエである。どこまでも自分は自分である。
決して人生急がない、実はまだ、人生スタートして間もない、わ
けである。社会の「常識」と異なる時間の流れというべきだ。生
きるのはただ、私という一人の愚物である。愚物に悔いはない。

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