窪川鶴次郎『小説家 石川啄木』啄木の総合的な把握にはあまりに程遠い

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 まず「これまで一般に啄木は『一握の砂』、『悲しき玩具』
などの歌人としてか、あるいは『時代閉塞の現状』、『呼子と
口笛』の社会主義者の先駆者としてか、そのいずれか一方のみ
が青年男女に親しまれてきた」とある。これでは啄木を全体と
して統一的に捉えることにはならない。啄木が「文学的運命」
をかけたのは作家であり、作家としては結局成功に遥かに及ば
ず、だが「小説を一途に書いた努力」が「啄木の文学全体を
高める基礎をなしてる」というのが著者の意見だ。つまり
「小説家としての石川啄木」をタイトル通りにテーマとしてい
る。

 「啄木の文芸評論、ことに自然主義文学に関する見解」は、
重要な文学史的な意義を持つだけに、その小説作品は重視す
る必要があり、また「今日もなお名声を保っている」歌は、
「周知のごとく、啄木にとって『悲しき玩具』であり」、「
歌を通じて飽くまでも自己を追求し、表現し、人生の何たるか
を知ろうと必死になって努力したわけではなく」「最も容易な
形」として、自然に取られた行為であり、啄木が全生活をもっ
て打ち込もうとした小説作品を抜きにして、また啄木の歌も理
解できない、という。

 啄木は詩集『あこがれ」を出して以から一年後、1906年、21
歳の時、処女作『おもかげ』という小説を書き、1910年、25歳
のときに『我等の一団と彼』まで15の小説を書いている。年齡
を考えれば少ない数ではない。特に知られている作品は『雲は
天才である』、『我等の一団と彼』くらいなものだろうが、
世評という点ではこの二作品でも芳しいものではなく、それ以
外の小説作品はほぼ無視されている。この時代、21歳から25歳
まで、生活苦、また啄木の乱行めいた生活もあって優れた小説
を書ける状態でもなかったとは思える。

 だがそれでも啄木において小説が重視されるべきは、当時の
自然主義文学に書けていたものを啄木の小説は持っている、「
文学と現実の生活とを近づける運動としての自然主義文学が」
、「あまりに観照的、いわゆる隔一線の態度」であるのに対
し、「自己と生活文学は常に密接な関係を持って統一」される
べき、とし、どの小説も「人生に対して決して第三者的な傍観
者」ではあり得なかった。

 自然主義の不徹底を批判する啄木の立場は個人主義的ではな
く、社会主義的で「作品の全ては社会的に開放され」作中の人
物のとらえ方は、「風格とか人物の印象というものではなく、
人物の生活や地位や職業などの社会的な存在について考えさせ
ることのできるような意味での性格であることは」啄木の小説
の特徴とする。・・・・・・・

 著者は啄木の小説をそれぞれ紹介し、特に『鳥影』はその成
立の過程、経緯を調べ、啄木の小説の意義を語る。

 ではその社会主義に向かう道だが、一家の生活の責任を負い、
考えたとかく生活的、社会的となって宗教的欲求の時代に移り、
その克服のために社会主義に結びつかざるを得なかった、また
幸徳秋水事件が大きな影響を与え、・・・・・と記述している
が、まとまりもわるく説得力もない。

 この本は雑誌に寄稿した諸論文、「詩人啄木の文学的形成」
、「啄木文学の問題」、「啄木における短歌革新の意義」など
を本に収録しただけなので、重複が多く、まとまりもない。
読んで啄木が多少でもわかった、気持ちにはなれない本である。

 

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