戦後、戦時下のキリスト教弾圧についての調査に回答を拒んだ日本のキリスト教団

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 日本の長い歴史においてキリスト教は中世以降にせよ、激
しい弾圧を浴び続けた。その記憶があるのかどうか、日本国
内におけるキリスト教徒の数は他のアジア諸国と比べ、ダン
トツに少ない。葬祭、墓と強固に結びついた日本仏教、また
明治以降、天皇制と一体化して国家神道として絶対的な超宗
教として君臨した神道、という存在があり、日本国内でのキリ
スト教の広がりははかばかしくない。

 戦後、1948年、イギリス系のキリスト教団、フレンド教会
(クエイカー教徒)の調査に対し、日本国内のキリスト教団
の反応が極めて低調なものに終わった、わけだが実際、戦時
下、キリスト教団が国家の弾圧統制に屈服した経緯と内容を
まず知る必要がある。

 戦時下においては神道系の新宗教も激しい弾圧を受けた。
例えば1940年7月31日、東京憲兵隊は救世軍司令官植村益蔵
を始めとする救世軍幹部を一斉検挙した。容疑はスパイ行為、
反戦反軍的な造言飛語などであった。この年に日本領海近く
でイギリス軍艦が浅間丸を臨検し、軍籍を持つドイツ人乗客
を勾引したことへの反発もあってか、イギリス系のキリスト
教団である救世軍を狙ったされるが、何の証拠もない弾圧だ
った。確たる証拠もなく戦争に協力することぉ誓わせるとい
う目的での憲兵隊の検挙を、内務省は「基督教界にて将来の
基督教取締の基本方針を示すものとして非常の衝撃を与え得
るに至るもの」と評価した。

 1940年4月1日には宗教団体法が施行された。神社祭祀、お
よび国家神道以外は神道系、仏教系、キリスト教系すべての
宗教が対象となった。

 1940年9月2日、「基督教各派連合申し合わせ」が成立し、
「我等基督者は来る十月十七日皇紀二千六百年奉祝全国基督
教大会を期して各派合同の決意を声明し準備委員会を設置す」

 日本聖公会以外の34教団が参加、国家神道に結果として屈服
した。

 「皇紀二千六百年奉祝基督教新と大会宣言」は以下のような
内容となった。

 神武天皇国を肇し給いしよりここに二千六百年、皇統連綿と
して弥々光を宇内に放つ、この栄えある歴史を思うて我等転た
感激に堪えざるあり。本日全国にある基督教信徒相会し謹んで
天皇の万歳を寿ぎ奉る。思うに現下の世界情勢は極めて波乱多
く、一刻の偸安を許さざるものあり。・・・・・・今や、この
世界の変局に処し国家は体制を新たにし、大東亜新秩序の建設
に邁進しつつあり。我等基督信徒もまたこれに即応し、教会教
派の別を捨て、合同一致をもって国民精神指導の大業に参加し、
進んで大政を翼賛し奉り尽忠国報国の誠を致さんとす」

 このような内容がいかにキリスト教の教えから逸脱したもの
であるかは明らかだろう。実際、大日本帝国臣民である限り、
国家神道の教義の建国神話に全面服従しか生存の道はなかった
のであるとしても、だ。

 1942年1月には函館の聖教会所属の一人の牧師補佐が拘置所で
自殺を遂げた事件があった。逮捕の理由が隣組の輪番での護国神
社への参拝を拒否したことで自殺でなく殺されたとの噂が広まっ
た。

 さて終戦後である、1948年、昭和23年、アメリカのクエーカー
教徒、つまりフレンド教会が戦時下における日本でのキリスト教
迫害の調査を行おうとして各教団に問い合わせを行った。

 迫害を受けたと思われる教徒に直接出向いたり、局長名で調査
依頼書を送付したが回答率は非常に低かった。

 個人のみならず各教団、ミッション系の教育機関にも送られた
が、回答してきたものは全部で5通にとどまった。その回答のあ
った中、3通は「迫害の事実はまったくない」という事実を歪め
たものだった。全てミッション系大学である。上智大学生が靖国
神社に参拝しないことをもって激しい弾圧を受けたという事件も
あったのにでらう。

 誰でも迫害弾圧を受けたと知っている救世軍でさえ、植村益蔵
中将は直接の事情聴取に「今さら戦争中のことを話したくない」
と事情聴取を拒否した。

 同志社大人文研のキリスト教社会問題研究会による「戦時下の
キリスト教運動、特高資料による」新教出版社は非常に貴重な
内容だが、そこで戦後の調査拒否をこう述べている。

 「さまざまな推測が可能だが、戦勝国による思想調査かとい
う警戒感もあっただろうし、戦時下の迫害、弾圧は思い出した
くない、キリスト教弾圧は日本の歴史では当たり前なことであ
り、キリスト教徒たるもの、いちいち気にしない、という無神
経さもあったのかもしれない。実際は弾圧迫害が厳しすぎて、
どこまでも生き延びるため戦争協力した、それを知られたくな
い、はあっただろう」

 私は一つには戦後も「近代天皇制」は継続し、戦時下の恐怖
がなお消えていなかった、ことが要因として大きいと思われる。
戦後の日本国も基本は戦前の体質をそのまま受けついでいるとい
う不安があったはずだ。それは今も基本変わらない。

 

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