尾崎秀樹『伝記 吉川英治』1970,講談社、Kindle、大衆文学作家への偏見と風当たり

  eiji_1.jpg
  この本は講談社から刊行された『吉川英治全集』の完結
を、いわば記念しての出版されたものだという。だが著者は
尾崎秀実だから、単純な祝賀的な内容ではない。

 私は日頃、感じているのだが小説をもし書く場合、最も書き
やすい、出来不出来はさておき、誰でも書けそうなものは身辺
雑記、随想的な私小説であろう。その対極が時代小説、歴史小
説だろう、時代考証から小物の表現まで相当な念入りな調査、
研究がないと書けるものではない、そうでなさそうな時代作家
もいないではないが、それとて才能だ。本当に時代小説の作家
はたいしたものだ。例えば、佐々木味津三の『旗本退屈男』、
娯楽小説と思われてしまうが、文章に接すると、時代をまず
描かねばならず、それは現代の描写とはまるで異なる、容易に
書けるものでないことは明らかだ。純文学、私小説を尊しとす
る日本文学の伝統では時代小説など論評さえされない、評価も
されず文学賞とも無縁、近松秋江が自分の情痴を縷々語れば
純文学、井伏鱒二が釣りの随想を書いても純文学を思えば、
時代小説、歴史時代小説作家の力量はすごいと思うが不遇だ。

 さて序章で「ある結婚披露宴」とある。この序章は、、1953
年3月に第一回菊池寛賞を受賞した「新・平家物語」の作者を
労い、励ますためのものであったわけで最後のスピーチの吉川
英治のその発言内容を載せている。

 ここで吉川英治は一家の内幕を語った。結婚式も挙げていな
い二度目の妻について述べ、戦時中、戦災で死んだ養女につい
ても語り、列席の88歳の小学校の恩師について語ったのだが、
まさしく声涙下るスピーチだったという。このとき吉川英治は
62歳、それまで一度も賞と名のつくものはもらった経験がなか
った。

 会場にはすすり泣きの声も聞こえたという。この序章の暗に
意味することは、純文学のみ評価し、大衆文学、作家への偏見
がこびりついた日本の文壇なのだ。

 1960年に吉川英治が佐藤春夫などとともに文化勲章を受賞
したとき、中野重治は「佐藤さんは、これはいくらなんでも
可哀想だ」と云ったという。大衆文学作家の吉川英治と一緒
にされては気の毒、という意味であり、全くの極論だが、文学
全集にそれまで吉川英治など入ったこともなく、その後もまず
入っていない。牧野信一はまず入るが吉川英治は入らない。
それでも戦後は中間小説の乱舞で純文学と大衆文学の要素を
兼ね合わせる作品が大量に出版され、評価されたが、時代小説、
歴史小説が大衆文学作家!によって書かれたら文壇からは無視
される。そのような偏見を真っ向浴びたのが吉川英治だ。

 以下に大衆文学は名を捨て、実を取る、とはいえ、吉川英治
は大衆文学作家では例外的に名も手に入れた。しかし芸術院会
員には無縁だった、富岡多恵子、河野多恵子でも、というと何
だが入っている。読者数でいうなら比較になるまい。だから反
感を持たれ続けた吉川英治だった。

 私生活上のマイナス面、最初の妻との離婚、戦時下の言動、
最後に到達した孤独な栄光、それらは述べられていないよう
だが、しかし前半生を丹念によく描いているのは美点だ。ど
こまでも大衆ととも生きた作家、それこそ吉川英治の神髄だ
ろう、貴重な著作である。

この記事へのコメント