杉森久英『啄木の悲しき生涯』1965,啄木の評伝としては並であるが個性もある
日本近代文学史上でおよそ、石川啄木にまさるレジェンド
はないと思える。啄木については、「どこまで研究しても、
啄木はどんどん遠ざかる」と歎く論者もいるほど、わずか26
歳2ヶ月の人生でこれほど、多面的で深く、毀誉褒貶の要素
に富んで恐るべき文学的業績の人物はいないと思われる。こ
の評伝は1965年、昭和40年の刊行でやや古書の部類だが、バ
ランスと個性が調和しているので取り上げた。
啄木のもつ特性は複雑で、どれが本当の啄木?と思ってし
まうだろう。最晩年、朝日新聞に勤務しながら大逆事件に接
し、あれほど深く誠実にあの事件を探求した人物も、ほぼリ
アルタイムで考えると驚異的だし、金田一京助さんのご子息
の春彦さんに言わせたら、「啄木はもう石川啄木ではなく、
石川五右衛門みたいなものだ」、・・・・・私はイデオロギー
としての社会主義を啄木が報じていたとは思えないが、あの
弾圧的な体制の明治以降の大日本帝国を誰よりも憂慮し、真
剣に考えた人物として啄木に匹敵する者は見出し難い。欠点
の塊、それはそうだ、だが同時に時代の趨勢をだれより深く
考えた人物として、また短歌、小説、評論、日記、朝日の短
歌選者としても、その文学的、社会論者としての業績は驚異
的である。その短い生涯で文学史上のビッグネーム多数と親
密となっているのも驚きは驚きだ。
そこで杉森久英による『啄木の悲しき生涯』、・・・・だ
が内容に釈然としない部分はあるのだが。
1965年時点でも啄木についての研究、資料発掘はいちじる
しく進展を遂げ、伝記的研究もまたそれまでより遥かに深く
広くなっていた。本書がそれらの成果を踏まえているのは確
かで、資料的に別に著者の手柄も見出す道理はないが、いか
に資料が発掘されてもその解釈、評伝は容易にできるもので
はない。資料に頼るのみで著者の個性など埋没、という結果
にも成り得る。だが流石に杉森久英さんで、あらゆるそれま
での資料を渉猟し、独自の見解を散りばめている。賛同でき
ない箇所は多いが、それなりに見事ではある。
執筆の動機は、その前に島田清次郎の伝記的作品を書いて
いて、何処か啄木と共通性もあると感じて、だそうだ。もち
ろん、業績では島田清次郎と比べられたら啄木が気の毒だが、
自称天才、友人などを騙して金をせびる、借りる、生活に破
綻し、やや無惨な窮死なら似ているが、だがこれは他の数多い
明治、大正の作家、文学的人物とも共通であるといえる。命な
がらえて名声まで得たというケースは極少ない。
啄木の生涯についてだから、もはや数しれぬ評伝、評論、
伝記と研究成果、資料発掘の進捗の時点の差はあっても、内
容は同じようなものだ。だが金田一京助への金策の方便で、
社会主義を論じた、金田一の顔を見た途端、金を切り出すの
は迷いが生じ、急遽、苦肉の策で、話題として社会主義を、
というのが著者の「独自見解」である。私は「時代閉塞」を
もたらす明治の強権体制を誰よりも憂えていた啄木の洞察を
評価するが、イデオロギーとして社会主義を奉じていない、
何処までの個性良心的な発想の啄木であったと思う。大逆事件
の大量死刑判決に接し、啄木は「日本はダメだ」と慨嘆し、朝
日新聞のあったその資料を必死で書き写した情熱だ。生活者と
してはルースでも、その情熱に疑いの余地はない。
最近、再刊された杉田十刻さん『26年2か月、啄木の生涯』
はバランスの取れた好著だと思う。KindleUnlimitedでも購読で
できる。現時点で最もおすすめの啄木の評伝である。
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