三浦朱門『武蔵野インディアン』1982.武蔵野を描いた点で国木田独歩と双璧か?

今でこそ東京23区でも戦前はかなりの期間、高円寺村、
渋谷村、かろうじて新宿あたりはまでが東京市だったよう
に聞いているが、私の母親でも生まれは「高円寺村」とあ
る。すでに昭和だった、それが現在の中央線沿線ともなる
と武蔵野そのもの、ついに東京に縁がなかった私は話には
聞いても、どうも実際、行った経験が皆無であるから想像
しにくいのだが。
この小説に出てくる地名は立川、八王子、福生など。中央
線沿線で一つの文化が形成されるようだ。やはり特に郊外と
の視点で描かれていて。東京の西の郊外、武蔵野に代々住む
、いわば原住民を「武蔵野インディアン」というのだろう、
これが表題作だ。それらを半ば見下すような作者は東京白人
というスタンスなのだろう。三浦朱門が東中野の生まれ、育
ちである。旧制高知高校だから、てっきり四国あたりの出身
かなと誤解していた。
ともあれこの小説は私小説的である。私小説そのものでも
なさそうだが、基本は作者の体験に依拠している。戦前の武
蔵境の小学校のときの思い出、記憶が述べられている。立川
あたりの旧制中学の同級生の生活、生態を物語の中心に据え
ている。連作ものが同時収録である。『先祖代々』は境に住
んでいた小学生時代の活発な体験。いたって明るくのびのび
である。基盤は昭和初期から十年代の郊外の武蔵野の光景だ。
国木田独歩の『武蔵野』は誰しも読んでいると思うが、武蔵
野を描いた点で国木田独歩と双璧だ。
表題作『武蔵野インディアン』は旧制中学時代のスケッチ
的記述、戦後は定時制高校でアルバイトするさまを描く。
そこらで成長した旧制中学の同期が現れ、武蔵野の近代化を
説明する。独自の文明批評が面白い。
最初の単行本に収めららている『敗戦』、これは牧歌的な
部分は希薄だが、敗戦経験とその終戦後の生態を描いたもの
であり、実にいきいきと描かれている。ここらに戦後日本の
原点があった、と思わせる。エネルギーに満ちた貧困日本で
ある。
三浦朱門の作品では最も好感が持てる本である。
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