牧瀬菊枝『九津見房子の暦』1975,岡山県出身の歴史的社会運動家、女性で初の治安維持法違反検挙者


 ルーツは岡山県北の勝山町、現在は真庭市勝山町で房子
の墓も本人の意志で勝山町にあるという。日本近代史で
三代、明治から昭和にわたる比類なき女性活動家、社会運動
家だが私はほとんど今まで詳しく知らなかった。その実績に
比べ、知名度が低いのは否めない。1890~1980、90年の生涯
であった。その活動歴は女性としては日本最古といっていい
くらいだろう。芥川龍之介が1892年生まれだから、二歳、房
子のほうが上である。その社会運動家としてのキャリアは長
k,その過程で数多くの人々と出会い、この本の刊行された
時点では大多数はなくなっている、堺真柄は例外的だろう。

 岡山市生まれ、ルーツは勝山町、幼い頃からキリスト教に
接し、親しんだ。岡山高女在学中に堺利彦訳の『百年後の社
会』を読み、社会主義思想に心も震え、出発点となった。家
を飛び出して福田英子のもとで「世界婦人』の編集を手伝っ
た。その活動性から19歳の時既に「特別甲号要視察人」とい
う、ものものしい監視対象とされていた。

 大逆事件の大弾圧の後は一燈園に接近し、西田天香や高田
集蔵に傾倒し、結果、髙田と結婚、二女をもうける。子供を
育てながら生きるために働き、本願寺派の革新系の僧侶や暁
民会系の運動家の知遇を得て思想的にもさらに成長し、髙田
とは離婚し、社会主義運動に本格的に参加する。

 重要なことは婦人団体「赤瀾会」せきらんかい、を設立、
警察の弾圧に抗しながら、岡山県の藤田農場の争議や浜松の
楽器工場での争議三田村四郎などとともに応援に赴いた。
戦前の官憲の弾圧時代、ちょっと女性としては活動力は傑出
していた。

 遂に非合法活動に入った三田村四郎と北海道に渡ったが、三
・一五事件で検挙され、女性最初の治安維持法違反での検挙者
となった。そこで五年の獄中生活、その後上京し、佐野、鍋山
の転向につづいて三田村も転向、不本意な形ながら一国社会主
義運動に邁進、さらに宮城与徳を通じ、ゾルゲのグループに加
わり、1941年にゾルゲ事件一斉検挙で逮捕拘禁、懲役八年の刑
を受け、和歌山刑務所に服役、戦後は思想犯は釈放で三田村と
も再会、その生活は紆余曲折ながら1964に三田村は死去、

 自らの墓所は勝山町と決めていて墓は同町の安養寺だが、その
生きざまは、まさにすさまじい、戦後の活動が地味で、その点で
ややその実績からして知名度の低さになったかもしれないが、ど
う考えても日本近代史上、女性活動家としては比類ない、のだが
基本、地味さは最初から存在し、表に立っての活動家、という
性格ではなかったようだ。


  勝山町安養寺

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