名子役、小柳徹、1969年3月24日未明、第三京浜に死す、永遠の「ホームラン教室」NHK
稀代の名子役、小柳徹1948~1969,東京の子供に多かった
幼くして児童劇団に入り、子役の道を歩み、テレビ、映画に
出演、現在、なぜかwikipediaが消えている。だが代替的なサ
イトがある。その出演は映画、テレビ、ラジオとすさまじく
多い、関東学院大学経済学部に入学、テレビの昼の番組の司
会として出演していた。ただ実際に見た出演はNHKの子供向
けドラマ「ホームラン教室」、端的に言って小柳徹といえば
「ホームラン教室」、に尽きる。ドラマではアンパン、「ホー
ムラン教室」の放送は1959年から1963年、長きに渡った。小
柳徹の10歳から14歳までのドラマ出演で無論、代表作である。
なお主題歌で「空をあおげばテレビ塔」でテレビ塔とは東京
タワーである。東京タワーの下にある〔wikiでは東京タワーを
見る丘の上、とあるが間違い〕小学校で野球に熱中の子どもた
ちとその同級生、家族、などを描いている。
いきなり出てくる画面がこれ、ただし、これは前期だ
「空をあおげばテレビ塔」
左にちょっと映っている屋根が小学校の屋根
木造モルタル校舎である
そこから顔を出す小柳徹、アンパン
主役の子役、小柳徹も成長していった。大学に入ってから
はTBS、番組司会でも出演していた。で、はっきり覚えている
のは私は入院した年の3月、1969年3月、第三京浜で交通事故、
未明である。別に徹夜の仕事があったわけでもない。TBSの早
朝の若者向けの番組に出演があった、というからTBSに向かう
途中であっったのか。1969年3月24日は月曜日だ。日曜日はあ
るいは遅くまで遊んで、朝は番組に遅れないようにと急いでい
たのだろうか。朝の番組のレギュラーにさえなっていなければ、
だが、どうしようもない。
景山民夫さんが「どんな人生にも雨の日がある」で偶然、そ
の事故、小柳徹の事故を目撃した記述がある。ただ思い違いが
あってネットもなく、wikiもない時代である。1992年の刊行で
ある。1968年では、とあるが1969年である。「自分より三歳
年上」とあるが影山さんより一歳年下である。
「小柳徹が死んだ朝」という章である。
S字の大きなカーブを曲がっている途中で炎が見えた。
朝5時、東京から横浜に向かう第三京浜の入り口を入ってすぐ
の、反対車線にある料金所のフェンスに激突した形で、その車
は炎上していた。車体は既に黒く焼け焦げ、ガソリンタンクか
らもれた燃料に引火した火が青白くチロチロと舌なめずりして
いた。
一瞬、夜遊びで呆けた頭に「警察に連絡しなくては」という
考えが浮かんだ。車内に残っていたガソリンがなにかの拍子に
また小爆発し、こもったような「ドン」という爆発音とともに
その車の後部から黒煙が立ち上った。次の瞬間、遠くからサイ
レンが聞こえた。
小柳徹は一人っ子であり、葬儀の場での両親の悲痛を超えた
顔の画像が週刊誌にも載っていた。トヨタのコロナだったよう
だ。非常に激しい衝突だった。朝の番組出演へ向かう途中だっ
た。それが20歳でこの世から消えた小柳徹の最後の日だった。
あれから55年になる。
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