井上ひさし『花石物語』1980,私小説的な青春苦渋小説

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 確かに若い頃の井上ひさしさんは何かと恐怖症に襲われて
いて、例えば状況恐怖症という経験もあるそうだ。「恐怖症
者の自己形成史」などという随想を読むと、井上さんはその
ために吃音も悪化し、母親の住む岩手県の港町に帰省したが、
町の図書館で続帝国文庫『黄表紙百種』を読むことで、もっ
とムダな生き方をやらないとダメだと悟り、笑いを突破口と
して生活が世界と結びつく方向を選ぶようになった、という
のだ。それは随想の告白だが、『花石物語』ではそのあたり
の生活体験を述べている。基本は井上ひさし自身の体験談、
である。

 主人公は小松夏夫というが、カトリックの修道会の経営の
仙台の養護施設から学校に通っていた。修道院に東京支部が
出来て、そこに住み込み、東京の大学に進学を許された。
銀杏や稲穂、ペンをマークとする大学を受けたがすべて不合
格、どうにかカトリック系の大学に入った。だ学帽の鷲の徽
章への羞恥心から、周囲に恐怖を感じる神経症にかかり、そ
のために吃音症となった。その彼が母親の岩手県花石市朝日
町に移った、という便りから、夏休み、花石市を尋ねるとこ
ろから物語は始まる。
 

 花石は東北有数の漁港で製鉄所がある、というと釜石市の
こととわかる。港近くに娼家が並ぶ間に洋品店があり、母は
その二階を借りていた。着いた日に夏夫は隣の娼家の、かお
リという娼婦が、客の相手をする様子を窓越しに眺めた。

 翌日から夏夫は屋台の飲み屋を開業した母を手伝うが、最初
の客は製鉄所の元庶務係長で、「花石通史」を執筆中という。
次の客は、花石高校の国語教師の宮井先生、前夜、娼家でかお
りの相手をしていた客だった。これは変装し、女性の陰毛を集
めるのが趣味らしかった。鶏先生、元庶務の研究は「花石通史」
から盆踊りの歌の語源探索であり、後に艶笑民話を集めて「栗
野物語」をまとめたいと言い出す。夏夫はこの二人に、自分と
共通する恐怖症をもっていると感じた。

 同じ恐怖症には母の同業の息子で、銀杏マークの帽子だが、
実際は東大生ではなく日大生であり、その学資のための盗みを
見逃して、夏夫はアルバイトをクビになる。彼は今度は、かお
りのせあで行商人の臨時雇いとなる。

 とまあ、ほんとかな、と思いたくなるようなおかしな話が続
くが、方言を駆使して街の情景ともども、よく描かれている。
たしかにユーモアと何処か哀しみ、ペーソスに満ちている。

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