大岡昇平『少年』1976,京大仏文閥の「少年」、ここでも「実証主義」の発露

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 東大仏文、京大仏文、本当に多くの文学者を生んできた、
フランス文学ってそんなに素晴らしい?仏文でなにを学び、
それが糧になっているということであろう。数から言えば
東大仏文出の出世人間が多いだろう、妙な理屈屋も多いも
のだと思う。京大仏文の大岡翔平もだ、・・・・・。

 大岡昇平は仏文だけに、というべきか、日本最高のスタン
ダール熱愛、というのかスタンダリヤンと自ら任じていたそ
うだ。スタンダール自身には優れた自伝があるという「私と
は何者であるのか、幸福だったか、不幸だったか」と自問し
ているのだ。別に「スタンダール自伝」というタイトルでは
なく、やはり小説の体裁で『アンリ・ブリュラールの生涯』
というものだ。このスタンダールの自伝に触発されたのか、
大岡昇平は数年来、自伝の試みに熱中していた。だからまず
『幼年』というのが最初の自伝、それに続く『少年』10歳か
ら16歳くらいまでを対象としている。まあ、少年期である。

 だれにとっても少年期は特別な時期だ、小さいながら独自
の世界を構築する。小宇宙とも云える。大人になりかけの、
青年期とはまた違うのだ。少年期を書くと、まずみずみずし
いはずだが、誰でもそうだ、とも云えないだろう。

 この『少年』母親の財布からお金を盗んで、父親とモメる、
聖書を購入、キリスト教に接近する。まあ月並みだが性的な
目覚め、小説中の挿絵に興奮を覚える、そういう話が克明に
というのか、語られている。

 作者も「なにもわざわざ、こんな恥ずかしいことを書かな
くても」と一応は断っている。だが恥ずかしいことも敢えて書
くのだ、「感傷的偏見のない率直さ」がモットーである。

 他人の書く歴史小説にアレほどイチャモンをつけるくらいだ
から、自分を描く態度は非常に客観的を極めている、だから、
なんというか普遍的な『少年期』を自己流で冷徹に解明してい
る風情である。

 いわばそういう方法論の矜持からか、小説的ではなく、自我
の目覚め、その形成過程、知への目覚め、その知が深化する過
程、退屈な叙述だが、退屈さを怖れずである。結果的におおま
じに書いて逆に面白くなっているとも言える。

 東京出身の大岡昇平だから、その背景の渋谷の、戦前の渋谷
が驚くべきクソ真面目さで再現されている。実証的である。あ
たかも細密画のようだ。

 他作家の歴史作品に「アレはウソだ、事実ではない」と文句を
いうくらいで、なんとも自伝でも厳密な実証精神が健在だ。だが
なぜ大岡昇平はウソでない、ことをそれほど重視するのか、であ
る。

 細密画にように描けども、友人や家庭の内部は全然、細密では
ない。だから、近代化の東京、故郷を失った文学、の東京の再現
が全てとも言える。大岡昇平の故郷は渋谷だったわけである。

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