三島由紀夫『剣』1964,あまりにも露骨な三島の本音、楯の会隊員と乱入割腹の予告だろう

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 まず、なぜ三島由紀夫はあれほど武士道とか剣道、切腹に
入れ込んだのかである。祖母が旗本の娘だったから、にして
も武士の家系など掃いて捨てるほどある。武家の子孫たちが
皆、ハラキリとか武士道、日本刀に狂っただろうか。もちろ
ん、まずいない。祖母は旗本でも祖父は播磨の神吉村あたり
の貧農の出である。三島由紀夫こと平岡公威が学習院に入れ
たのは「庶民出世枠」であり、祖母が旗本の出、だったから
ではない。武家なら大名クラスの子孫でないと入れる可能性
はなかった。もっとも学習院をそれほど名誉に思うか、どう
かの問題はある。ともかく戦後、ある時期から三島は武士道
剣道、切腹に異常にのめり込んだ。だが剣道の腕は冴えなか
った。「運動神経はゼロ」と口さがない揶揄もあった。

 ところで中康弘通、なかやすひろみち、なる京都在住の元来
はサラリーマンがいた。後に三島との縁があってか作家になっ
た。雑誌掲載の中康の文章にこうある。

 「三島から初めて手紙をもらったのは昭和34年の9月だった。
その頃、筆者が悲壮美の世界シリーズを書き続けていた雑誌の、
須磨利之氏からアドレスを知り、会って切腹についての話を聞
期待、との内容の手紙だった。・・・・・健康にも恵まれず、
しかも小企業に勤めの筆者は東上の機会など皆無である。事情
を述べ、ご西下之折に茅屋においで頂ければ、期待に添えない
かもしれませんが、楽しみにしております、とか書き送った」

 返事で三島は

 「ご多忙の所、お暇をおさきくださる由、恐縮に存じます。
お言葉に甘え、四日夜に参上させていただきます。四日は大阪
で所用がありますから、それから京都に参ります」

 特に望む資料は

 「なるべくリアルな絵画、写真、できれば実況写真、手紙な
どであります。御取揃えいただければ幸甚に存じます」

 中康は三島について著書も書いており、くわしくはそちらで、
ということだが、この雑誌の文章もかなり細かく詳しく述べて
いる。つまるところこの時期以前から、「悲壮美」に三島はえ
らく憧れていた、というわけである。

 この雑誌で中康は最後に

 「彼は輪廻転生を信じているものかのように、吉田松陰と同
なじ日に、大塩中斎自刃と同じ年齢で切腹した。・・・いつの
日か、彼が必ず転生して再度筆者のもとに切腹を論じにやって
きてくれると信じる。その日まで病態に鞭打って、切腹の歴史、
文芸、芸能について書き続け、彼の転生を待とう」

 というのだが、解せぬ部分が多すぎる。本人が切腹、憂国、
・・・・・というのだから仕方はないが。

 それから数年後のこの『剣』だ、『宴のあと』などはいいと
思うが、ちょっとついていいけない作品である。嫌いだが見事
というなら見事だ。

 さて講談社からの単行本、表題作は『剣』短編集だ。それにし
ても『剣』はこの時期までに磨きをかけた日本刀趣味、悲壮美!
切腹趣味、武士道などに依拠したあまりに露骨なまでに三島の
本音が露呈された作品だ。結局之が、あの1970年の乱入割腹に
直結したのだから。名門趣味である。祖父の家系を隠すために
だ。

 某大学の剣道部の主将、、東西対抗の個人戦に、東軍の五人に
選ばれた国分次郎、その黒胴の漆には国分家の二葉竜胆の金いろ
の紋が光っている。袴の脇からは、つややかな琥珀色の腿がほの
見えて、彼の周りだけに一種のオーラ、静けさがある。その構え
は自然体を崩すことはなく、いつも美しい。どんな激しい動きの
只中にも、動かいない彼がいる。・・・・・・という青年である。

 「俺はやりだけはやる。全身全霊を挙げて、やれるとこまでや
っていく。俺について来れば、絶対に間違いがないんだ。だから
俺を信じる奴はついて来い」

 主将になったときの挨拶だ、

 この言葉によって彼は自分の中に残っていた、並の若者らしさ
を整理したようだ。反抗、軽蔑、自己嫌悪、うじうじした羞恥心
は皆捨てる。「・・・・・したい」という心をみな捨てる・「・・
・・・すべきだ」ということを心の基本とする。そして生活のあ
らゆることを剣道に集中する。世親と肉体は研ぎすまされて、光
の束をなして凝ったときには、それが自ずから剣の形となる。

 とまあ、之が三島由紀夫の理想像だとは誰しも分かる。三島の
観念を具体化したものということだ。まず読むと、三島得意の
明晰で硬質な修辞と文体でこの人物のイメージを盛り上げる作業
のように見えるが、あるいは全くアホらしいと退屈するかである
だろうが、物語はいたって寸分の狂いなく進行する。国分次郎の
礼賛者、の一年生の壬生などの剣道部員、女の子の尻を追っかけ
るグレた学生もで出てくるが、すべて国分次郎の引き立て役だ。

 舞台は夏の合宿へ、稽古を強化し、倒れるまでやった先に、「
ほのぼのと明ける肉体の黎明のようなもの」を味あわせてやると
次郎は考える。部員の裏切りはあれど、皆が最高の緊張に引き上
げられると見届け、国分次郎は自殺し、作品はそれで完結する。

 これを剣道部を楯の会、部員を隊員と見れば、なるほど1970年
、の乱入割腹介錯の予告だった、ようなものだが、それをこの時
期から考えていたわけである。

 人事を尽くし、その完成の絶頂で滅び去る、ここで三島の狙い
の全貌が露呈だ。

 全く三島の本音、意図を全く単純明瞭に具現化した作品で、
これがその後、本当に現実化したのである。こういう悲壮美に耽
溺の思想には誰しも同感は出来ないだろう。ただ、ここまで非常
識を堂々と書き抜けるという自信に満ちた筆致には唖然とする。

 文学として評価できる作品ではない。不自然な人工物である。
 

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