長部日出雄 『鬼が来た‐棟方志功伝』1980,同郷の著者による探究的な評伝
あまりに高名になりすぎた棟方志功、その真実の生涯は、
と同郷の長部日出雄が「わだばゴッホになる」の原点から
徹底して追求した本だ。古書もあるがKindleもある。
その個性を極めた作風の版画、板画の制作で世界にその
名を轟かせた棟方志功、1903年、明治36年に青森県の鍛冶
屋の息子として生まれるが、9男6女の6番目、3男として生
まれる。小学校を出てからは家業の鍛冶屋を手伝うが、独
学で洋画家の道を志し、その後、版画に転じる。柳宗悦らの
民芸運動の影響も受け、大原孫三郎の知遇も得て支援された
り、その独自と云うにはあまりに独自の版画の線を通じて
国際賞を数多く受賞、1975年に72歳で没した。今年で生誕
120年である。
その業績も単に狭い意味の版画家で括れない、版画家とい
うには多彩な親交、特に多くの文学者との交際、文学作品
の挿絵、装丁でも傑作が多い。谷崎潤一郎の『鍵」、中央公
論連載は棟方志功の挿絵が見たくて買う人が多かったという。
この伝記は棟方志功と同郷、青森県出身の長部日出雄、は
本書以前に『津軽世去れ節』で直木賞受賞、『津軽じょんが
ら節』や郷土の歴史、人物をテーマにした風土の匂いの濃い
作品を書いてきたが、青森県屈指の、という棟方志功に肉薄
した伝記を書き上げた。葛西善蔵、太宰治らと比較してどう
か。
長部は
「この地方から出た芸術家の何人かが、土着的自我と近代
的自我との葛藤に苦しみ、自虐の淵に沈んでいったとき、棟
方はほぼ無意識のうちに近代を通り抜けて『無我』の境地に
入り、『夢中』になて人間の意志下の流れに合流し、エロス
と合体し、時間的には原初まで遡り、空間的には地の涯まで
広がる。普遍的でしかも独自な世界を作り上げることが出来
た。つまり棟方はすこぶる津軽的な方法で自己を宇宙と化し
たのだ。そこに棟方志功の奇蹟がある」
単に時間を追った伝記ではない。その芸術を生み出した環
境、幅広い人間関係を老いながら創造の秘密を求める。した
がって非常に自由な手法で述べててまとめている。普遍性と
風土性の関連は大きなテーマだった。
やはり奇矯な面はあれども人間的魅力、個性に面目躍如の
棟方志功だ。戦前から戦後にかけての時代状況、棟方志功が
そこにいかに生き、対応したか、原点を常に探ろうという意
図が感じられる。
「わだばゴッホになる」は棟方志功の象徴的言葉のように
語られるのだが、自らをあそこまで押し上げたんは棟方自身
の比類ないバイタリティー、向上心である。その人生、版画
修行は苦闘の連続だった。共感を持って描けるのは同郷の強
みというものだろうか。
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