安岡章太郎『私説聊斎志異』1985,受験不合格などの苦渋な記憶を内面にソフトランディングか?
「聊斎志異」とは名前は聞くが内容はおよそ知らない。そ
こで安岡章太郎さん『私説聊斎志異』、この作品の主人公は
「私」、無論、云うまでもな安岡さん自身だろう。イコール
ではないが、安岡さんの風情である。主人公は、とある長編
小説を書こうとし、思うに任せず日々、徒労を重ねる人物と
して登場する。
その小説とは、要は「少年期から青春時代にかけての時期
が戦争期と重なったというその体験記」である。だが主人公
には容易にそれが書けない。いかに青春の日々を思い起こし
ても、「戦争で青春をまるで失った」ことは確かだが、その
喪失状態から戦争を見直そうとすると、何か漠然とした捉え
どころもないものになってしまう、のである。だが、それで
は、その時期、自分がどこで何をやっていたのやら、自分で
も分からなくなってしまい、遂には自分の在り方が分からな
くなる。
つまるところ主人公、それを彼というなら、彼はそれまでの
人生はそういう無力感、劣等生的心情に支配されたものだった。
だが、その劣等生的心情が自分自身の本質なのか、時代要因に
よるものか、彼にもよく分からなくなる。
確かに幾度となく受験に失敗し、また留年したりとか、とい
う無能な怠け者だったが同時に非常時とされて戦争に送られる
青春の日々にあって、私立大文系の怠け者の学生であり、また
小説を書こうとするなど、自分自身の劣等生的体質もしょせん
は時代への面当てみたいなものだった、と思ったりする。
この小説のすべてでもないが、多くがそういう劣等生的心情
に蹂躙された青春の苦渋な物語である。私も他人ごととは思え
ないので作家の中でも最も共感できる方である。劣等生である
ことと戦争、この二つにやられてしまう、
だが別に劣等生と戦争、物語に終わっていないのである。作品
名を見ればわかる。
彼は小説が書けない徒労の日々、の中、ふと中国の「聊斎志異」
妖怪奇談集の作者、蒲松齢に出会って興味を抱く。この人は、若
くして秀才の誉れ高方かったが、その後の中国のあの科挙に何度
も落ちて51歳まで不合格をくり返した。いったい、何がそこにあ
った?主人公という劣等生が、このさらに輪をかけた受験不合格
人物にひとかたならぬ親近感を抱き、その奇妙な世界に入り込む。
そう思って読めば、そこに描かれる妖怪奇談は、その人物の絶
望とか、恐妻家として、落第生としての心情がひそかに投影され
ている、科挙に落第はつきものだが、その度を超えた落第生に、
彼は彼自身の青春の記憶、つらい思い、苦渋、悲歎が浮かび上が
るというのだ。彼は語るべき、基盤を得たのである。
まあ、この作品は「聊斎志異」を一つのネタにして、というより、
ことよせての私小説、半自叙伝であるかもしれない。もうそういう
過去の劣等生たる自分を認めようではないか、自己をいうならば、
客観視したい、それに「聊斎志異」が必要だった、というのだか、
これまたあまりに奇怪な話ではある。
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