宇井純『公害原論』1971,東大工学部助手としての自主夜間講座の講義録、上からの欺瞞の「環境対策」を痛烈批判

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 この時代、まさに日本は超高度成長の頂点にあった。日本
は石油化学コンビナートを中心とした臨海工業地帯の造成、
建設で充満、その排煙、廃液は重大な環境汚染、健康被害を
生み出した。で最近は?となると熱狂的な「脱炭素ドグマ」
で状況は変わってきているが、世界的には「脱炭素」による
資源の濫用、採掘に拠る環境破壊、汚染が顕著でCO2一点張
りのドグマで逆に海洋汚染、大気汚染などが軽視される!と
う状況でなってきている。

 東大工学部を出て日本ゼオンに就職、1960年に工学部大学
院に入学、その後、東大工学部助手として工学部教室を利用
し、自主夜間講座を行った宇井純さんである。

 原発汚染水が最近は問題視されて海外から批判が上がると、
対外的には常に強硬で一枚岩となる日本、実は明治以来の日
本の特徴である。

 『公害原論』、・・・

 一般的には日本は公害が起こりにくい国だという。つまり
原発汚染水の処理と同じで

 周囲を海に囲まれ、廃棄物を陸上に置いておく必要はなく、
海に垂れ流すことができる。潮の干満が顕著であり、それに
乗じて汚染水は自然に沖に流される。降雨量自体は比較的多
く、日本の汚水は雨に洗い落とされやすい。風は強く、大気
汚染物質を吹き飛ばしてくれる。また国境や国際河川もなく、
公害が社会問題になりにくい、などである。

 これらは日本に有利な条件で、原発汚染水処理でも対外的
に一致団結、これも日本に「公害が問題となりにくい」原因
である。宇井純さんは日本ゼオン勤務中に水銀を夜中に河川
に流したという経験もしている。

 だから「海に流す、川に流す、大気汚染は風が吹き飛ばし
てくれる、国境は接していない」とうズルが身上と成る日本
の公害を「内から告発しよう」というコンセプトである。

 本書は元々、東大工学部助手会によって開催の夜間自講座
の講義録としてプリントされたものだ。その普及版が単行本
として刊行されたものだ。当時は相当に一斉を風靡したもの
だ。基本は東大の権威主義的アカデミズムへの反感、批判精
神で一貫している。

 「かって公害の原因と責任の究明に東大が何らかの寄与を
なした例は足尾銅山鉱毒事件のみである」

 なぜ日本で公害が垂れ流しされても批判されず、規制も受け
ないのか?という原因を、企業優遇の行政が意識的に強行され
ていること、したがって高度成長のひずみで公害は誤りであり、
高度成長は公害の自在さのお陰だということ、政府行政レベル
で企業優遇があまりに徹底されたこと、被害者の人権意識がや
や希薄だったこと、また科学技術が権力に媚びて退廃が顕著だ
ったこと、

 かくして政府、企業の立場ではなく被害者の立場に立つ新た
な学問創生が必要ということを主張する。

 宇井純さんは水俣病にも深く関わり、また田中正造の足銅山
鉱毒事件への対応を高く評価している。それは自らを民衆と同
化しようとした点においてである。

 「『谷中村の村民がみな乞食になるなら、俺も乞食になる』
と観念し、そのような道を選んだ政治家がいただろうか。過去
にはいない、現在も前衛政党と称する政党など、『俺は民衆より
上だ、俺たちが民衆を指導してやる」という思い上がりばかりで
はないか」

 と政治家への追求は厳しい。

 「特権の基盤ではなく、民衆と共有すべき学問をいかに作り上
げるか」である。上からとメディアの扇動の『脱炭素』の欺瞞に
対抗するためにも、宇井純さんの思想は重要だ。

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