伊藤整『年々の花』日露戦争に出征の父親を主人公に日露戦争を問う?「夜明けの前」的小説を狙うが迷夢に終わる

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 伊藤整にこのような小説があったとは実は私も長く知らなか
った。実はこの小説は1962年から1963年にかけて当時あった
雑誌『小説中央公論』に10回にわたって連載され、一応の完成
はみたのだが、伊藤整の生前(1969年11月15日死去)には遂に
刊行されなかった。結末の部分を書き直そろうと云う気持ちが
あった、とされるが。本質的には「未完」となったと言える。

 主人公は父親である。父親については「若き詩人の肖像」の
最終章で「広島県の三次出身で・・・」と父親に少しふれてい
るが、その父親を主人公とした作品なのだ。

 大正9年、1920年、旧制小樽中学校友会雑誌に伊藤整が投稿
した「寒き夜」という小品、短文がある。

   寒き夜

 八時になったが、父は帰って来ない。外には雪が降っている
か、寒そうな風が戸をたたいて居る。
 今夜もお父さんは遅いのだろうか、と聞くと、今丁度急がし
い盛りだからね、と母は言いながらみ仕事から手を離さぬ。
 机によりかかって、本を見ていると、何時とはなしに色々な
ことが頭に浮かび出て来る。・・・・・・


 伊藤整の父親、伊藤昌整は明治4年、1871年に広島県三次の生
まれ、昭和3年、1928年に57歳で北海道小樽近辺で亡くなってい
る。本書はこの時点でその父が亡くなった年齢と同じくらいのと
きに、父を主人公に長編小説を書こうとしたものだ。

 伊藤整は繰り返し、平凡人の生涯であることを強調している。
ただしこの小心な実直な主人公が遭遇した大事件は日清戦争、さ
らに日露戦争への出征である。特に日露戦争は、父は203高地攻
略戦に参加し、腹部貫通の銃創を負って九死に一生を得ているの
である。だからこの作品は日露戦争に応召した主人公の運命にま
ず力点がある。

 さらに旅順要塞攻防戦、日露戦争の歴史的性格を日本側とロシ
ア側からの意味を膨大な資料を渉猟し、史実を再現し、日露戦争
とニコライ二世治下のロシア国内の事情、いわゆる「血の日曜日」
事件をきっかけの1905年のロシア革命の展望など、作者の視野は
際限もなく広がり、いつの間にやら凡庸な父親の話など、どこか
に消えて吹き飛んでしまいそうな雰囲気にもなる。だが、そこか
ら拡大した対象を円満に再び小さな存在の父親に戻し、戦地から
帰還した主人公たる父親の後半生をスケッチ程度に述べて連載を
終えている。

 伊藤整は日露戦争に戦前から非常に関心を持ち、父親の出征も
考え合わせて、であるがあまりに凡庸なだけの父親を主人公は、
やはり無理があり、日露戦争の探求という知的好奇心は拡大する
のみで全体のバランスから言うと圧倒的となって、明治初年生ま
れの一人の凡人の生涯を描くという最初の目論見は相当な程度に
雲散霧消してしまった。それもよく自覚しているようであり、「
私が再現しようとしている主人公、伊藤昌整は魅力もない凡人で
しかない。大事業とも無縁である。極めて凡庸な下級軍人兼村役
場の書記である。到底、取り立てて作品に描くような人物ではな
い」

 時代を描いて、父をそこに描く、そこから時代を描くという
意図は島崎藤村『夜明け前』の再現、を狙いつつ全く果たせなか
ったのである。父親があまりに超凡人過ぎた。

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