平林たい子『不毛』1962,別れた亭主、小堀甚ニへの怒り、社会主義への失望、筋金入りの幻滅小説

平林たい子、は戦前、社会主義運動家の小堀甚ニト結婚して
いたが1955年に離婚、小堀は戦後も社会主義運動、社会党で活
動、社会主義協会設立のキッカケをさえ作った、が平林たい子
は戦後は完全に方向転換、右翼、反共の立場を取った、
この作品はその別れた亭主、小堀甚ニへの痛烈な幻滅と怒り
を噴出させたものだ。亭主とまた社会主義的運動、政党への
激しい怒りである。
政治的情熱に燃えたぎって、滑稽な悲喜劇を繰り返し、なお
その政治運動に埋没している醜悪な亭主の姿が妻の立場から明
らかにされる。
さりながら、別に単なる糾弾ではない。あくまで小説なのだ、
さすが小説家である。最初から最後まで終始一貫、妻の立場と
して語られている。軽佻浮薄、社会主義幻想に浮かれての情熱
に生き、で何一つ、いい意味では実を結ばない亭主の徹底した
「不毛」ぶりなのだ、とにかく、別れてしまって、もうすっき
りいたしました、というドライなあきらめの心情である。
亭主とはこういうもの、男なんてしょせんはこういう生き物、
という学び得た智慧、というのか、見極めは最初から実は語る
妻には備わっていて、小説の中では破局に至らず終わる。
でかいガキというのか、ガキの性懲りもないイタズラ、愚行
を終始、余裕の表情で高い立場から冷ややかに見下ろす風情で
ある。幻滅以前のアツアツな夫婦の状態は全く語られてない。
でも登場する人物も説明がないも同然に、一体何を書いている
のやら、さっぱりわからないことも多い。ともかく何とか折合
いはつけて一緒に暮らしていく、年季を重ねた夫婦生活の実態
というか実感は生々しく出ている。
時期的には終戦直後から、社会党が形成されて連立政権を作
るあたりまでのようだ。「身軽になって何でも出来るような気
持ちになった」戦後の解放感の中で戦前から弾圧されて運動し
て社会主義思想に打ち込んだ亭主は水を得た魚のように活動を
始める。
だが妥協もしない、また賢く打算もなく、甘く見てしまうよ
うな単純な一本調子な性格で同志には利用されて捨てられるの
み、手弁当で夢中になって先輩の選挙運動に走るが、先輩の妻
は何一つサービスはない。かろうじて当選の先輩も議会にいや
けがさしてすぐ辞任、労組も長続きしない。しまいには用事に
出ると行って実はパチンコに溺れている。
こうした亭主の行動と性格に愛想をつかしたツアは、古い知
人の在日や現実的な党員に心惹かれながら、なにもなく終わる。
「パチンコと政治、どれだけの違いがあるでしょうか」
という文章で結ばれる。作者の社会主義運動、思想への幻滅は
その後の反共、保守の立場に作者を向かわせたので、いうならば
筋金の入った幻滅小説だ。
これ以前に刊行された小堀甚ニの自伝『妖怪を見た』への多少、
仕返し的な意味もありそうだ。
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