ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』狂気と荒唐無稽さでしか描けない真実と超リアリティ
映画化もされ、そちらから非常に有名とも言えるギュンター
・グラスによる作品である。奇想天外な荒唐無稽が生む、超リ
リティと真実だ。
スターリンが死んだと伝えられる頃のデュッセルドルフの或
る精神病院で30歳過ぎの小人が「ブリキの太鼓」を叩きながら、
自分の幼い時代、戦争の少年期、戦後の青年期を思い出し、回
想する。彼は母方の祖母が云うような血筋「本当のポーランド
人でもなければ、本当のドイツ人でもない、カシュバイ人はポ
ーランド人にもドイツ人にもなる資格はないよ」、という人間
として戦後段ダンツィヒに住んでいてそこを脱出した。
彼が太鼓のリズムのような文体で、日本語翻訳でもそれが表
現されるようだが、・・・・奇妙な文体で事細かく細部まで語
り続けるその生涯の回想はポーランド回廊、ダンツィヒの雰囲
気を帯びている。その街の存在感は確かにある。底を流れた時
代の影も、である。
太鼓を叩き続けるという狂気の小人の回想という設定をおき、
限りない狂気じみた偏執的な細部まで描くわけである。なんと
も猥雑な滑稽でしかも悲劇的な数多くのエピソードを基本に据
えて、ダンツィヒの住民がヒトラーの命運、興亡に翻弄される
ことを凝視する。激動の時代、その歴史の流れを確かに把握、
細部のみならず全体の意義と感動を提供している。だからこの
作品が質量とも戦後最大のドイツ文学作品、というわけである。
語り手は小人のオスカル、料理好きな矮小な精神のドイツ人
を父親に持つが、カシュバイ人の母親はポーランドの郵便局に
務めるが、ドイツ人よりもポーランド人であろうとする同民族
の男と不義の関係から生まれたと信じている。彼は三歳の年齢
の肉体からそれ以上は成長しないことぉ決意して、地下室に身
を置いて小人としての障がいを踏み出す。彼は常にブリキの太
鼓を叩いている。それによって外界からのすべての呼びかけを
理解し、それによってあらゆる自己表現を行う小人なのだ。
小人のオスカルが太鼓を叩きながら体験するのは、ドイツ現
代史である。彼の家族や知人が惨めな死をとげるたびに、小人
のオスカルは三歳児の肉体の仮面に隠れてそれに手を貸す。
戦争初期にダンツィヒの郵便局襲撃で捕らえられて処刑され
た実の父親の死も、ソ連軍占領における仮の父親の死も、二番
眼の不義の子を身ごもって、魚を食べて食中毒で死んだ母親も、
すべて小人オスカルの太鼓の意思による。
エピソードは細部にわたり、微に入る。戦後、オスカルはブ
リキの太鼓の名手として音楽家として成功しながら、犯罪者と
して裁判にかけられ、精神病院に送られる生涯は、あまりの
奇想天外な荒唐無稽ゆえに、それに依るしか描けない真実があ
ることを意味する。その超現実主義のリアリティは比類ない。
Die Blechtrommel
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