山内義雄『遠くにありて』講談社文芸文庫、 さりげなく淡々と知の至福

  ダウンロード (18).jpg
 フランス文学者の山内義雄さん、1894~1973,の晩年の
エッセイ集だがその最晩年に刊行されたもの、最初は毎日新
聞からだったようだ。全くフランス文学の大家、で数しれぬ
本をお読みになっていて、80歳近くになって薄いエッセイ集
一冊が結果としての唯一のエッセイ集だから、さぞた滋味深
い内容と思ってしまうが、その期待は裏切られないだろう。

 表題にもなっている巻頭の「遠くにありて思うもの」とい
うもの、山内さんの故郷は東京、だかた遠きにありての対象
とはならない。父親の生まれ故郷の山口県佐波郡八坂、その
地を生涯で唯一訪問したときの思い出を述べたもの。

 桑畑の中に農家が点在する寂しい農村、そこの郷士だった
父親は村を出て萩に行って大村益次郎の弟子となって軍学を
習い、明治維新で陸軍入り、当時の陸軍はフランスに倣って
いたからフランス語の勉強が必要となっった。これが息子の
山内義雄さんがその生涯をフランス文学研究に捧げる選択の
きっかけにもなった。だから義雄さんも早々とフランス語の
勉強を始めた、暁星中学五年時に父親に連れられて山口の故
郷を訪れたことを懐かしむ。さいわい「帰省の時、我が家を
中心とした辺り一面を中村不折ばりの筆致で巻紙一枚に矢立
の筆で写生した思い出が残っている」

 小さく見たら親子二代の伝記、大きく見れば近代日本史に
もなり得る身辺のことを実に淡々としかも圧縮して述べられ
ている。
 
 他のエッセイは音楽についてが数篇、音楽好きをよく現し
ている。だが何と言っても中心はフランス文学であるのは云
うまでもない。ことにというのか、「POETAE MINORES」と
いうフランスの群小詩人を述べた一篇がいいが、これも読む
方もフランス文学のセンスが要求されそうだ。

 「フランス文学の腰をまずは17世紀に据えて。コルネイユ、
ラシーヌ、モリエールなどという、しかめつららしいところ
から始めるかわりに、私はマルセル・シュオブに傾倒したり、
時間を浪費した。その結果として、いかめしい文学史からは
外れそうな『群小詩人』の数々を読むことが出来たことは幸
いだったかもしれない」

 フランス語への馴れ初めから無名庶民のレベルではないの
で、正直、反発も感じないわけでもないが、やはりさりげな
く語られる知の至福は認めざるを得ない。

この記事へのコメント