予後不良のインプラント裁判、基本的に患者は決して裁判で勝訴出来ない理由

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 まず端的に云うなら医療において法的に認められた手段方法
なら、「よほどのひどい」理由がない限り、患者側が医師、病
院を訴えてもまず勝てる見込みはない。結論を言えば、裁判を
やること自体がその経費、労力、精神的な害毒を考えて負けな
のである。裁判の真の意味の勝利者は、最初から裁判をやらな
い人間である。勝つ負けるは関係ない、裁判に関わることが
負けである、だが相手に裁判の負担、心労を与えるというイヤ
がらせで、自分は暇人で資金に余裕、ならそれもいいが、それ
もバカげた話だ。裁判は「やらない」のが勝ち、である。もっ
とも教科書裁判の家永三郎先生のように、裁判により、国の考
えを糺す、その矛盾を露呈させ、広く社会にアピールが目的と
いうなら話は別だが、これは例外だ。家永三郎先生は裁判が苦
になったことは一度もないという。

 それはそうとしても、一般的に医療裁判で以下に「話が違う、
あまりの予後不良」という理由では医療側を患者が訴えても、
まず勝訴の見込みはない。個々の事例を見たら、ひどい話、は
現実、際限もなくある。だが裁判所は「法で認められた医療手
段」には徹底して医療側を擁護するのである。わかり易い例で
はガンの手術後、すぐに再発、死亡しても一切、医療側の責任
は問われない。「そもそもガンに罹るのが悪い」それを通常の
認められた、支配的学会で認められた方法の施術を行ったなら
基本的に一切責任は問われない、ということである。多くの現
代医療の施術、処置、全てだが逆に言うなら法に規定がない、
法で正式に認められない処置、たとえば非保険の和漢薬を与え
た、それで悪くなった、とかりに裁判をしたら裁判所は医療側
は敗訴の判決を下す、だろう。

 このような最小限の前提に立ってインプラントを考えるとど
うだろうか。

 まず歯科医療の状況は、もはや話題にもならない、歯科医院
の無限増加である。歯科大、歯学部からは毎年歳々、卒業生が
出て国士の国に拠る制限があろうと必ず相当数は歯科医師免許
を取得する、だが永続的勤務先は限りなく少ない、医師との、
根本的な違いである。何年かどこ可で修行できるのも幸運な方
だ。全く永続的勤務先はなくとも日本は融資体制は完備である、
金融緩和も半永久的だ、担保保証人さえ、揃えたら歯科医院の
新規開業は富裕的なら何ら難しくはない。

 つまり無人にちかい限界集落でもなければ、そこそこの人口
さえいて、空いたスペース、空き地ができたら、そこで歯科医
院を開業すればいい。最近この地ではガソリンスタンドの廃業
が相次ぎ、そこに案の定、歯科医院新規開業が相次いでいる。
都会ならテナントを見つければいい、難はない。

 だが無限増加の歯科医院だ、患者数は減る、診療点数は低い
まま、そこで自由診療、とくに「インプラント」となる。超高
齢時代、歯を失う羽目の人は限りない、歯を失う辛さは耐え難
い、入れ歯、義歯はイヤは人の常だ。

 インプラントという歯科医療からは宝の山、が現実にある、と
いいう認識もあって歯科医院は無限増加の永久化である。

 だが、その弊害はまた深刻だ、入れ歯なら外せばいい。だが
インプラント埋入、顎骨である。歯を失った顎骨は歯槽骨部分
は消失する、だから義歯は顎堤の回復という役割を果たすが、
インプラントで顎堤が回復できるはずはない。また耐え難い痛
み、副鼻腔の炎症、神経麻痺、さっぱり噛めない、さらには施
術中の血管断裂で大出血での死亡もある。

 インプラントの前にこれらは十分聞かされる?「ならやめま
す」とも云われたくはないから、歯科医は、いいことしか言い
たがらない、だが、実際はしょせん、全くの不自然物だ。

 高額所得者はインプラントのターゲットになりやすい、神戸
に本社の弁当や、かまどや、の社長がインプラント、だが痛く
て全然噛めない、入れ歯のようにすぐ外すわけにもいかない、
日々地獄だ、と裁判に訴えてが当然、歯科医の勝訴だ。「いやし
くも法が認めた医療の施術、処置ならよほどの理由がない限り、
医療側は責任は問われない」民事上のことだ、損害賠償は取れな
い。

 それなら岡山市のある歯科医のように、チェアに座った途端、
全く主訴でも何でもないのに、前歯をいきなり6本抜かれた、
確かに抜歯は認められた施術でも、それには適正な理由、患者の
承諾が必要だ、古来、日本の悪徳歯科医によくある「座った途端
にいきなり抜歯」という「無断抜歯」、悪質は傷害罪ではの重要
性を考えたら非常に罪状は重いはずだが、警察に逮捕され、起訴
されたこの歯科医、恒常的な無断抜歯の主だが「無罪」だった。
私はその判決文を読みたいものだが、裁判所が適正な判例を作ら
ないと、、連綿と続く、無断抜歯という極悪は消え去ることはな
いだろう。

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