桑原武夫『一日一言、人類の知恵』岩波新書、「人類の知恵」でなく「桑原武夫の知恵」というべきか

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 今なお、岩波新書で出ているのだろうか、一年を366日とし
て、それぞれの日にゆかりのある人物の言葉を収録し、その
簡易な、いわば略伝と肖像を付けたものだ。非常に知的に高度
な内容だと思う。

 別に中古で安く簡単に手に入るから実際に購入して読めばい
いいが、一月二日ではキケロの「友情論」から言葉、「この日
アルピヌスに生まれる。ローマの雄弁家、政治家、哲学者。共
和制の擁護のため、政治的な努力を行ったが、争いに敗れ、殺
された」これは略伝である。

 一月二十四日、幸徳秋水の「軍備の拡張をやめよ。徴兵の制
を崇拝することをやめよ」という『廿世紀の怪物帝国主義』か
らの抜粋がある。略伝で「この日、天皇暗殺未遂と称せられた
大逆事件のため死刑となる。。明治時代の社会主義運動の指導
者。のちに無政府主義に傾いた。著書『社会主義神髄』」。

 歴史上の人物の語録ばかりでもなく、二月九日は「日露戦争
開戦の日」として「平民新聞」の「もし戦争の愚劣、悲惨、損
失を直言するをもって国賊と名づくべくんば、我らは甘んじて
国賊たらん」という記事の文章が引用されている。

 八月十五日は「太平洋戦争敗戦」の日として「八月の十五日
、とうとう神風は起こらなかった」で始まる一未亡人の手記か
らの抜粋が載っている。

 実際、一年三百六十六日、必ず全ての日が歴史上人物にゆかり
があるとは云えないから。そんな日には生没年不詳の言葉をもっ
て埋めている。
 
 四月十八日に柿本人麻呂、同じく二十日に墨子をももってくる
というぐあいにだ。そのほか、「美術の生産もまた人類の偉大な
行為であるから、それをもって言葉にかえる日もこしらえた」と
して一月一日は葛飾北斎の富士山の絵、八月十三日はこの日に没
したドラクロア「民衆を率いる自由の女神」など。

 さりながら、よくある金言集と趣は異なる、生活や人生への反
省を生む警句ではなく、桑原武夫の趣味、考えが色濃く出ている
ようで、収録されている人物の顔ぶれは民衆の解放のために尽力
した革命家や思想家が多く、文学者、詩人、科学者の言葉でも、
人類の進歩、幸福を願い、闘った強靭な意志の人物が多い。

 坂口安吾の「法隆寺も平等院も焼けてしまったが一向に困らぬ
ではないか。必要ならば法隆寺を取り壊して停車場を作ればいい。
我が民族の光栄ある文化や伝統は、そんなことでは滅びはしない。
必要なら公園をひっくりかえして菜園にせよ、それが真に必要な
らば、必ずそこから真の美が生まれる。そこに真実の生活がある
からだ」

 また特色と云うなら特色だは、この編者は「言葉に支えられな
い人間行為はない」という信念により「後の人々の心によき刺激
を与え、思想を強壮にし、よき新行為の源泉となることを決して
やめない」という智慧を含んだ言葉だけを集めようとしたからで
あろうか、

 とはいえ、正直、退屈さを感じるのも事実だ。

 「われわれはこの戦争、おそらくはこの革命のただなかに、こ
の生を生きるよりほかないのである」サルトル、

 「人生の非恨は人が人の奴隷となりて、自ら苦しみ、わが霊を
ただちに大自然のうちに大自由の翼に求めざるにあり」国木田独


 それ以外にも、あまり馴染みのない、革命家の張り詰めた絶叫
めいた言葉などもあって、妙に虚しくも成る。

 「いたらぬ私自身を顧みて、長い読書のうちに深く心に迫った
幾十かの言葉を、いつか記憶のうちに蓄えている」

 つまるところ、幾十の言葉をいちじるしく数的に水増しした結
果がこれであり、「人類の智慧」ではなく編者の桑原武夫の智慧
になっている、と言わざるを得ない。

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