私が「洞窟オジさん」になっていた可能性、虐待の親に戻されないため、家出して山で野生生活
「洞窟オジさん」という本が出たのは2004年、実は私は
その本の存在を、その主人公、加村一馬という人の話を知
ったのが実は最近のことなのだ、迂闊と云えば迂闊だった
のだが。でもここで感じるのは時代からして非常に違和感
を感じたことだ、たしかに戦後、終戦直後の日本は貧しか
った、というより対米戦争の戦時下では新石器時代の食糧
事情に転落した。終戦直後からしばらくは確かに全くの食
糧不足、・・・・・だったがそれでも昭和26年、1951年く
らいになれば食糧事情は外国の支援、また朝鮮戦争の特需
での日本経済の思わぬ復興、で市民生活は相当に好転して
いた。大佛次郎の「帰郷」の時代を考えても終戦後だが、
市民生活は散々なものではないことはわかる。
でも昭和21年、1946年生まれ、この年からベビーラッシ
ュ、団塊の世代のスタートだ。その昭和21年、1946年生ま
れで小学校から中学入学だろう、もう皇太子御成婚のとし、
それ見たさでテレビを買った家庭が多かった、テレビ番組
は子供番組の全盛期、前年からは「月光仮面」のテレビ放
送も始まっていた。無論、日本はまだまだ貧しく、貧しい
家庭は多かった、・・・・・・がどう考えても、あの時代、
家庭で白米を食べたこともなく、麦に稗、粟を混ぜてとは
信じられない、昭和30年、1955年以降ですらそれというな
ら西日本ではほぼないと思う。今で言う群馬県みどり市、
赤城の山の麓というべきか、2006年に多数の町村が合併し
て出来た市、そこに加村さんは生まれた。
終戦直後の生まれ、にしてもその生育状況はあまいにひ
どい。ろくでもない両親からの虐待、暴力、8人兄弟姉妹で
一人だけ辛く当たられる。もう中学生にもなった、あの195
9年、昭和34年に意を決して家出、戦乱の時代ではない、終
戦直後でもない、・・・中学生の家出ならいつの時代でもあ
る、だが意を決してが筋金入り以上で、街に向かわず山に向
かい、山野での生活を続けた云う点が驚きだ。普通なら家出
は街に出る、都会に出る、はずだがあたかも重大犯罪の指名
手配犯人のように中学生が山に入って完全に非文明生活を送
ろうとする、その発想だ。それをもたらしたのは虐待を繰り
返す、憎むべき親である。街に出たらすぐ見つかってあの虐
待の親元に連れ戻され、さらに輪をかけた虐待を受ける、だ
から街、都会でなく山に逃げ込み、誰にも分からぬように野
生生活をやろう、というのが本音だったと思う。
実際、私にも昔からそんな願望があったのだろうか、鉄道
で山を見ると、もしこの山に入ったら生活できるだろうか、
と思うことも多かった。別に虐待の親から逃げる意味だけで
はなく、世捨て人として生きられないか、と相当後年になっ
ても思う習慣があった。
でも日本は親のc「懲戒権」を民法で規定し、それ以前に
は「懲戒場に入れることが出来る」などという規定もあった。
しかも長年続いた「懲戒場」に入れる権利を廃止の理由も、
それが好ましくないから、ではなく「適当な施設がないから」
が廃止の趣旨だそうで、法務省、政治家などはまさに病膏肓に
入れリである。明治の絶対主義的な家父長制度による懲戒権、
が保守層の愛国思想とさえ一体化し、廃止にはサンケイなどが
猛烈な反対を行う。諸外国ではもはやそんな制定法は存在しな
いのに、である。
でも加村さんが家出して追いかけてきて長く唯一の相棒とな
った愛犬のシロの存在はほんとに大きい、ここまで飼い主と運
命をともにする犬がいたとは感動的だ。でもいつかは別れが来
る。山中、新潟県の山中で出会った夫婦との交流も心温まる。
しかし、痛切に感じるのは親の虐待、イジメ、から子供が逃げ
られる保証がどこにもないことだ。私などは親を蛇蝎のように
嫌っていたが、どうしようなかった。憎むべき暴力、虐待、悪
罵の嵐、そんな親からも逃げられないのである。
親元に戻されないため山中に家出、野生生活はその意味する
ことは深い。
家出の時から持って出て生き延びるのに使い、シロも埋葬し
た生涯愛用のスコップ

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