石原慎太郎『化石の森』空前絶後の「殺人自体」の文学化、なぜ政治の道に?

images (42).jpg
 私は長く『化石の森』は井上靖の小説家と思っていたが、
実は石原慎太郎の小説であった。非常な長編である、精読は
容易ではない、だが読めば慎太郎の文学的素質を見直すと思
うがこの後、1970年11月の初版だが、政治の道にのめり込ん
だ。あのまま、・・・・・とは思う。

 これは殺人小説だ、「誰か人でも殺してやりたいほどの暑
さだった。季節が狂ってしまっている」さすがにこの時代は
酷暑でも「季節が狂う」と認識、「気候変動」などと思わな
い点は良識的だ。

 主人公の青年は恋人と共謀し、恋人の勤務の経営者を殺す。
のちに主人公の愛情が他の女性に移ったと思い込んだ恋人は、
殺人事件を警察に自白、それで共倒れを画策する。それを察
知した主人公の母親は同じ毒薬を使い、恋人を殺す。一つの
殺人事件から別の殺人事件が生じ、それで終焉を迎える。何
か一見、メロドラマ風だ。

 殺人は本当にやたら文学作品のテーマになるが、推理小説で
もなければドストエフスキーの『罪と罰』的な指向性を持つ。
殺人を犯した主人公の倫理的な葛藤、宗教とのかかわりを軸と
する改悛の尊さ、という内容と、もう一つは正宗白鳥の『人を
殺したが』、『人生の幸福』のような難解な極端な観念的な作
風となってしまう。だふぁ、『化石の森』は『罪と罰』的なも
のでもなく、『人を殺したが』的な傾向でもない、非常に文学
的なそれ自体のリアリティーで殺人を文学化している、ちょっ
とメロドラマ的な面はあるが、・・・・それを石原慎太郎はや
り遂げたのだと思う。

 まず構成で主人公の青年に、殺人の七年前に特殊な体験をや
らせている。初志を変えて大学医学部に在籍している主人公は
七年前、高校生時代、男と逢引している母親の顔を蹴る。寝乱
れた男をかばおうとする母親の浅ましい姿に怒りを感じたから
である。そのとき、口から血を流し、主人公を見返したその母
の顔を主人公は忘れられない。それを父親に告げたら、また父
親に他人の目を感じて、その後、家でしたのだ。で東京の大学
の受験をやった。これが原体験である。一切、他者を信じない、
だが試行錯誤の果に他社とのつながりを修復しようということ
がテーマだろうか、

 テーマの達成のために主人公が高校時代の女友達に会って、
二人の関係を邪魔する経営者を殺害する。この殺人事件が
他社との関係回復のための否定的媒介と成る。ここらの表現
が迫真である。

 ともかく、これだけの作品を書いて政治の道、はよかったの
かどうかだ。でもそれも、また良かった気はする。

この記事へのコメント