宇野千代『刺す』1966,終戦後からスタイル社倒産、北原武夫との離婚までの顛末を描いた半自伝的な私小説、さすが

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 宇野千代さんは小説を書かせたら本当に天才だ、それは既
に処女作からあきらかで当選を重ねた。なにはそうさせたの
か、持って生まれた才能としか云えないが、小説を書く能力
は複雑、多彩だが、文学的なセンスもある。・・・さて戦後
はじっくり書き込んだ『おはん』で高い評価を得たが、その
後、スタイル社が倒産、北原武夫とも離婚という自身の状況
からの、実に大人向けの私小説だ。垢抜けている。

 春の暖かい日、「その人」が訪ねてきて、「私」と「良人」
とが雑誌出版のビジネスを始める。それは終戦後、間もない
頃だった。雑誌はバカ売れした。4人に従業員はあっという間
に17人に、銀座の焼け跡に土地を探して求め、「私」好みの
白いペンキ塗りの家を建てた。お金はいくらでも入ると当てこ
んで、夜になると「良人」や編集の若い者たちと盛り場を歩き
回る。

 熱海に小さな家を買う、「良人」と「私」は、ときどき仕事
を持ってそこに宿泊する。だが奇妙な夫婦である。年齢がまず
、良人が遥かに年少だ。「良人」は若いだけに、盛り場の女の
子や銀座の女性ともしや熱海に行ってないかと、嫉妬も燃える。

 ある日突如として、警官が闇の紙の件で銀剤の仕事場に襲来、
最初のつまづきだったが、だが雑誌はまだよく売れた。「私」
は骨董品収集に夢中になる。これも「良人」への嫉妬、あらぬ
想像をやらないようにという意図もあった。

 今度は、歌舞伎座の近くに土地を買い、贅を尽くした家を建
てる。「良人」と「私」の新しい生活を築こうとするが、もう
戦後の混乱も収まり、他の雑誌も多数出版されてきて、返本の
山となる。脱税で国税にガサ入れされ、弟が連行される。小さ
な旅館に二人で身を隠す。淡い幸福を味わう。

 熱海の家は印刷屋が買う、築地の家も買い手がついた。そん
なとき、友だちに勧められてフランスに行く。良人からのラブ
レターに喜んだりする。新しい雑誌刊行を企て、うまくいかず、
全ては管財人の手に移ってしまう。「私」と良人は青山の妹の
家に移り、良人は別棟で女中と暮らす。「私」は母屋に一人で。
会話もない。とうとう別れ話になる、「行ってらっしゃい」と
トランクに本を詰め込んだ良人を手を振って見送る。まことに
スムースな別れである。

 小説の天才、宇野千代の筆致は文句なしと思える。ただどう
もこの作品のタイトルが悪すぎる、『刺す』では終戦後からの
長い期間の半自伝の幅広さが伺えないではないか。例えば『愛
に生きる私』とでもしていたら、と思えてならない。愛らしい
女心を見事な!文章で描き切る。いたって、大人向けの小説で
ある。

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