野原一夫『回想 太宰治』新潮社、長年の積もる思いを込めた評伝、比類ない貴重な内容
後日、新潮社から単行本ででたが最初は雑誌「新潮」、
1980年3月号に『回想 太宰治』として発表されたものである。
実は旧制弘前高校の学生の頃から太宰の熱心な読者だった著者
、太宰が本当に新進作家だった頃から実際に接し始めてから、
角川書店の編集部員として太宰の遺体を玉川上水で探し出すま
でを綴った、雑誌掲載の作でも十分以上な力作であり、何より
実際に太宰に長く接した、という強みは独自の滋味を与えてい
る。単行本はさらに肉付けされたものだ。
題材の自殺以降、実は著者は太宰についての回想を書きたく
てたまらなかったというが、現役の編集部員であったため、角
川から筑摩書房に移籍してからも願いは果たせなかったが筑摩
書房が倒産し、編集部員の立場から離れたため、やっと自由に
書けるようになった、というのが執筆の経緯である。
若い時代から太宰に実際に接した何とも貴重な得難い体験の
持ち主であり、至近距離にいた愛読者、ある意味で弟子といっ
ていい著者の野原一夫さんだが、暴露趣味的なコンセプトはな
い。三島由紀夫は太宰治を嫌っていたというが、実は一度だけ
太宰と三島の出会いがあったという。後年、太宰を貶したくら
いだからその出会いの内容も推して知るべしと思うが、太宰の
側からの事情が詳しく書かれている。実に貴重だ。そもそも
太宰に『斜陽」の執筆依頼をしたのが野原さんなのだ。
まず弟子の範疇にあると思われる著者、弟子の語る思い出と
いっていいが、三十代半ばでこの世を去った太宰と比べ、もう
その自死の年齢など遥かに著者は超えていて人生経験は豊かで
ある。当然、長い人生から得られた熟達の眼で太宰を語るわけ
である。そうなると太宰と二人の女性との関係が真に大人の視
点で語られるわけである。著者、野原一夫さんの筆致は礼節に
満ちている。だが太宰の恋愛の真相は相当に明らかにされてい
る。そうとは書いてないが、読めば、太宰は結局、『斜陽』の
題材のための日記を手に入れたくて一人の女性と関係したと思
わざるを得ないだろう。
野原さんは旧制高校の頃、太宰の初期の短編『きりぎりす』
を読んだことから太宰に惹かれ始めた。この作品を野原さんに
薦めた友人が後年になり、「この短編は人を愛することが如何
に難しいことなのか」を描いた作品だ、と云ったという。確か
にその通りだろうが、そんな些細な片言隻句を記憶にとどめ、
それを冒頭に記した野原さんの思いは、単にそれが時間的順序
ではない、ことを意味するだろう。野原さんは太宰の生涯の求
めたテーマが『きりぎりす』にすでに集約されていた、と見抜
き、実はつらい感慨に満ちてこの文章を書いたのかもしれない。
文学史的にも貴重だが、一人の太宰文学愛好者としての自伝
ともなり得ている。感銘に満ちた作品だと思う。
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