陳舜臣『江は流れず、小説日清戦争』いざとなると必ず対外強硬一本化でまとまる日本

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 アジアの人たちがよく云う言葉に「日本人は何かあると、す
ぐ集団化して向かってくるから怖い」というものがある。確か
に日本人はどこまで意識しているのか、多分、ほぼ意識してい
ないと思うが、いざとなると国中が対外強硬でまとまる、それ
は日本人の国民性の中でも際立つ特色だ。国際試合、何の競技
でもプロアマ問わず、日本人は外国の相手チーム、選手に対し、
平等な応援など絶対しない。「相手も少し応援したら」とは口
にも出来ない雰囲気がある。「外国人だって同じだ」と日本人
は云うだろうが、じつは違う、というべきだ。東京電力の「薄
めての太平洋への廃棄」を「核汚染水」と表現すれば、それは
(主に中国の)回し者であり、非国民、国賊扱いされる、朝日
でもまったく変わらない、この対外強硬一本化というパターン
は日本人の余りに際立った特徴であり、言論、思想の自由とい
う見地からも問題を孕む。

 陳舜臣さんのこの「小説日清戦争」という副題を持つ作品
で実はそれを一番、問題にしたかったのではないか。

 日清戦争は主として朝鮮を舞台にした戦争であり、日本と
清国が直接戦ったアジアでの局地戦であったが、その後の日本
の極度の国家主義的な方向性を決定した重要な歴史的事件だっ
た。日清戦争自体、あまり文学でも取り上げられず、圧倒的に
日露戦争である。しかも際けて情緒的だ。

 『江は流れず』はアジア史における日中の交渉史、諸問題を
広い視野から描いてきた陳舜臣が、日清戦争に真正面から取り
くんで、当時の中国、日本、朝鮮三国の内部の矛盾、国際的な
位置関係、列強との関係などを考察し、その全貌を描き出した
価値ある長編である。

 まず著者は日清戦争の前ぶれ、前史とべき1882年の「壬午の
乱」から始めて、1895年の下関条約までを述べているが、その
中で活躍する登場諸人物、人脈を語ることで歴史の真実性を増
している。

 中国、清国では清王朝の政権を握る李鴻章、その李鴻章によ
って朝鮮に送り込まれた袁世凱との関係をまず軸とし、朝鮮で
は独立等の金玉均の辿る運命を閔一族、大院君の政権争いを絡
ませて描いている。日本では伊藤博文首相や陸奥宗光外相のか
けひき、対外積極論を唱える軍部、右翼壮士らとの対応で、浮
かび上がらせている。

 壬午の軍乱は反日暴動に政権争いが結びつき、日清両国が出
兵したものだが、袁世凱は元凶とみなした大院君を清に拉致し、
朝鮮への清の優位を確立した。その後、日本軍の力を借りて、清
の圧力から脱しようとする親日派、金玉均はクーデターを起こし、
清派の要人の暗殺を行うが、袁世凱らの妨害で失敗、日本へ亡命
した金玉均は後に上海で暗殺される。これを甲申事変というのだ
が、日清間に天津条約が結ばれ、両国とも朝鮮から撤兵、もし
派兵の際には通知する義務を明文化した。

 だが大陸進出を狙う日本は戦力を増強し、清国は軍艦建造費が
西太后別荘建築費に回されたり、李鴻章の手腕をもってしても、
軍事力で日本に劣勢となっていく。

 李鴻章は私軍である淮軍を擁していいたが、日本軍との衝突は
避けたいと考え、列挙諸国を利用しようとしたが、国内にも反対
勢力が多く孤立し、やがて全羅道での農民の反乱、東学党の乱に
乗じた日本軍と戦う羽目になる。

 朝鮮の何よりも自主独立を目指した東学党の乱、日本軍が強行
した日清戦争の関連をどう見るか、だが李王朝、清朝の内部腐敗
を追求する記述、また重要な点は国内が分裂しているように見え
て、いざとなると対外的には完全に一致団結し、強硬に徹すると
いう日本人の国民性、国家意識を鋭く指摘している。陳舜臣さん
の歴史意識は実に鋭く深い。中国、朝鮮の多くの資料を思うまま
に縦横に駆使は日本人作家には到底、及びもつかない部分だ。さ
すがというほかない。

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