フィリップ・ロス『ポートノイの不満』ユダヤ系アメリカ人の哀しみと可笑しさ、反ユダヤ作品ではない

自身がユダヤ系のアメリカ人作家のフィリップ・ロス、
ごくごく最近はまた世界でユダヤ人たたき、イスラエル
攻撃が目立つ、何かにつけて反イスラエル感情は噴出する
のかどうか、関係なさそうな日本でも、である。なんとい
ってもロスは『さよなら、コロンバス』で見事にユダヤ系
アメリカ人社会の、そのまた小コミュウニティーの中の生
活、精神をみずみずしく描いた。実際、それは生々しい青
春を描いている。当時はまだ若手、青年作家だったフィリ
ップ・ロス、その後の成長が滲み出ているのではないか。
やはり同じくユダヤ系アメリカ人が主人公、しかも知識
人である。その主人公の名前がポートノイである。30絡み
である。その役職が「ニューヨーク市人権擁護委員会副委
員長」だが小説ではあまり意味はなさそうだ。ポートノイ
のは何人も女性がいるようで、その中に無教養だが性的な
ことには長けているヴェテランのファッションモデルがい
て、リンゼー視聴のパーティーに全裸近い服装で出かける。
滑稽なシーンを際立たせようというだけだろうか。
日本人はいくら知ったかぶりをしても、やはりユダヤ人
というのは分からない、基本的な知識が乏しい。だがユダ
ヤ人とは、となると、いみじくもロスの作品が役に立つ、
のだろうか?反ユダヤ作品として糾弾されているとも聞く。
ともかくこの小説ではユダヤ人の民族的性質の一つの、自
分たちを卑下する、自己嘲弄とでもいうのか、その火花を
散らしながらポートノイという、いわば抽象的な人格が、
ユダヤ人の物の考え方、考え方を告白する。
その告白は、短編の形式のその集まりでまとめられてい
る。基本は生真面目な保険外交員の父親と、才気ある母親
のもとで、才能に満ち満ちて成長の少年時代から青春時代
、ユダヤ人家庭でいかに情操を育んで育てられるか、だが
どこか滑稽でもの哀しい、少年である。
成長し、青年となって南部の上流家庭の申し分ない娘た
ち、これまた悲劇の身体の関係では一人のユダヤ人が非ユ
ダヤの娘といかなる関係を持つか、ユダヤ人と標準的な
アメリカ人との出会いとすれ違い、なのだ。
その挙げ句に結局、あのモデルの女性である。知的な面
では彼に不似合いなのは分かり切っている。だが彼はその
モデル女を教育してマシにしようとするがすぐに諦める。
逆に女性の人格を蹂躙する結果となる。性にのめり込む、
女性が自殺をほのめかすと彼は逃げ出すのだ。
イスラエルにユダヤ人国家を建設しようという女兵士と
ユダヤ問題について討論するが、「卑屈、卑下、自嘲癖」
のあるダメなユダヤ人とばれてしまう。
この作品は反ユダヤ主義の文学と長く批判されてきた。
ロスはだが大マジだと思う。哀しいポートノイの愚行を、
微苦笑しながら真剣に見つめる、眼差しを感じてしまう。
ユダヤ人の自己洞察の作品だろう、反ユダヤ主義とのレッ
テルは誤りである。Portnoy's Complaint
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