三好徹『チェ・ゲバラ伝』真の革命家の魅力を現地に出向き、徹底追求

二年前、90歳で亡くなられた三好徹さんの代表的著作だ。
キューバは国家としては失敗の極みだが、キューバ革命を
主導した人たちの人間的魅力、という点では西側諸国の政治
家など、およそ比較にならない。三好徹さんのコンセプトの
最も発揮された快著である。
若い人、というより中年までの人はもうほとんどご存知な
さそうなキューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ、だが南米のボ
リビアの山中で壮烈な死を遂げたのが1967年の10月、日本の
天皇制的に云うならば昭和42年だ、・・・・そんな前だった
のかと思ってしまう。あれから56年が過ぎている。かっては
世界の若者を惹き付けてやまなかったゲバラだ、まあ風采も
いい、私の記憶では学研の例の学習雑誌がゲバラを取り上げ、
「ゲバラはどこに行くのだろうか」と書かれた文章が微かに
記憶に残る。1964年くらいだった気がする。
ゲバラの生涯は39年である。その生涯はただ「革命とは何
か」を求めたといえる。中南米諸国で自称革命家たちの多く
が権力の座についた途端に、およそ革命と対極の個人独裁に
転落したことを思えば、ゲバラがそれらと全く別の道を歩ん
だ。最後はラテンアメリカの革命、解放に殉じた、まさしく
真の革命家というほかはない。
三好徹はこの稀代の革命家を描くこと自体に、激しい連帯
を覚え、ゲバラの生前の事跡を訪ねて、その関係者に面会し、
多くの記録に目を通し、長編の伝記にまとめた。すごい本だ
と思える。
三好は革命の情熱の命じるままに自らの行動を律し、生涯
を閉じたゲバラのその生き方の根源を探っている。真の要因
を見つけ出した、その視点の真摯さは綿密な資料調査、現地
調査でなされている。
エルネスト・チェ・ゲバラは1928年のアルゼンチンの実は
第二の都市、ロサリオで生まれた。父はアイルランド系の建
築技師、母はスペイン系。わりと裕福な家庭であったようだ。
両親は進歩的思想の持ち主、その影響からか、早くから民族
の自主独立の考えを抱いていたようだ。
だがチェ・ゲバラには喘息という持病があったという。こ
れは実はゲバラの行動を大きく制約し、そのハンディと戦う
人生ともなった。だが医師は無類に強く、少年期からすでに、
なりふりかまわぬ態度、困難へ体当たりでぶつかる、いうなら
ば詩人の素質があったとも言える。非常に旅行好きで短いその
生涯も多くの期間が旅に費やされた。その旅好きはすでに高校
時代から顕著で、、そのことによる見聞からラテンアメリカの
置かれている状況をいやがうえにも理解するようになった。

ゲバラは持病もあってか、医師の道を志し、ブエノスアイレ
ス大学に学んだ。そこでグラナドスを知り、眼は国外に向けら
れ、やがて反ペロン派の弁護士、リカルド・ロホの奨めでグア
テマラに行き、7月26日運動のメンバーと出会う。カストロと
の出会いは1955年の夏だったという。死の12年前である。
ゲバラの生涯は運命的な出会いによって決定づけられている
ようだ。キューバに赴いたのは、これも偶然と必然の連鎖であ
る。反バチスタのキューバ解放運動の中で、実に抜群の卓越し
た戦士であっただけではなく、すぐれた軍医でもあった。持病
に耐えてゲリラ戦を継続、実に雄弁家で激情的な煽動家として
の才能も抜群なカストロと、文章家で内部に情熱を満たせるロ
マンチストのゲバラの組み合わせほど歴史的にも見事なものは
なかったというべきか。
キューバ革命は成功し、アメリカの侵攻も一蹴で撃退した。
ゲバラは国立銀行総裁、工業相となどまさに国家の最高の要職
についたがラテンアメリカの強権支配からの解放を目指し、ゲ
リラ活動、これは比類ない。お世辞でなくその生き方の純粋さ
は古今に絶するだろう。
しかし「解放後」のキューバが規制万能の「社会主義体制」と
なったことで市民生活は沈滞、低迷、また経済は破綻した。革命
は純粋で成功、しかし国家建設、国民の生活向上では完全に失敗
したというほかない。
ボリビア軍は米軍との共同作戦でゲバラを拘束した。その後
銃殺された、


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