車を運転、車内は一人なのにマスクを着用、もはや顔パンツでさえない、窮極の陶酔


 依然としてマスクを着用の人は多い、「新型コロナ」の
定義自体がじつはなされず、存在認定としてもコッホの四
原則のはるか以前、「実物が入手できないため」、論文か
らの遺伝子配列からスパイクタンパク生成の遺伝子部分の
mRNAを人体に皮下注射、・・・・・口腔粘膜の感染に、
皮下注射は意味などない、と普通ならわかるはずだが、一
切、問われない。なぜ新型コロナワクチンだけ、mRNA?
人の細胞にスパイクタンパクを作らせ、・・・・それで
免疫、・・・・・一体人類になにが起きてしまったのか?
と唖然としてしまう。国際機関から国、超大企業、既成メ
ディア全て、地方自治体、・・・・・「週刊金曜日」まで
「新コロワクチンを打たない理由はない」と御用学者を誌
面に何度も、さすがに定期購読を解約した。

 さて、今でも実によく見る、車を運転、車内は一人だけ、
だがマスクを着用である。もう生きている限り、いついか
なる場合でもマスクを着用しなければならない、と思い込
い、マスクを着用にもはや陶酔している、というしかない。
マスクはもはや「顔パンツ」というが、それは一面だと思
う。根本はマスクを着用自体が陶酔なのである。最重要な
生理機能である呼吸は阻害される、風呂に入るときでさえ、
マスクという話さえ聞く。顔パンツは女子学生などに妥当
しても中高年の男女にはそのまま適用できるものではない。
晒そうが晒すまいが、あのようなツラは同じことだ。要は、
マスク着用自体が、確かにプロパガンダ洗脳社会における
「善良なる市民」の証明のような満足感がある、それも事
実だが、ヤクザでもマスクだから、あくまで一面である。
マスク着用自体に自己陶酔、である。昔、子供が夜店で
お面をかってもらって家の中でもずっと、お面をつけてい
る、にどこか共通点がある。いや、あのスケキヨ仮面への
秘かな憧れ、さえあるのではないか、そうでも考えないと
車内に一人、車を運転でマスク着用は説明はできまい。

 ダウンロード (51).jpg

 

 日本人にとってマスクは陶酔であり、無我の境地さえ齎す
ものではないのか。日本人をマスク民族と称していいわけで
ある。

この記事へのコメント

スクーターマン
2023年11月24日 21:10
死ぬまで続けること
・外出時のマスク着用
・不特定多数が集まる場所を避ける
・東北地域の食べ物を避ける

疫病・経済不安・戦争を経て、既存権威に対する根本的な信頼が失われていく状況では自己責任で行動を選択するしかない