丹羽文雄『蕩児帰郷』1980,もはや人生は完了の開き直りか、アルツハイマー前の自伝作品

日本近代文学史上に輝く大作家、丹羽文雄、1904~2005,と
100歳という長寿を達成はしたが、1985年頃からアルツハイマー
型の痴呆症状が現れて娘さんなどの手を大いに煩わせた。過度
の執筆、また飲酒、スモーキング、はかなりのレベルだった。
その多方面の交際だけでもまず飲酒を伴った。・・・・・だか
らかず、繰り返された自伝小説のほぼ最後、の作品だろうか、
丹羽さんが76歳のときの刊行である。
この本は自伝の連作が収録されている。七篇収められている
が、全て「巣山紋多」なる奇妙な名前の人物が主人公である。
無論、著者の別名での登場だ。実はこれまで多くの紋多モノを
書いてこられていた。内容は周知の自伝である。ただくり返し
でもなく、独自の筆致が感じられる。
連作モノといってこの収録の七篇でも冒頭の「顔の小さな孫娘」
だけは異質というのか、全くの独立の短編と云うべきだろう。こ
の連作は基本、紋多の目で父親像をあれこれ思い語る、というも
のだが、この作品だけは孫たちを書いている。この一篇について
は主人公は孫娘となる。その四歳の女児の視点で日常の世界が表
現されている。全くいきいきと述べられている。丹羽文学全体で
も非常に異質な作品ではないだろうか。
それ以降の六篇は紋多モノである。紋多、その父、生母、祖母
、義母、姉達をめぐる人間の業の噴出、地獄絵図、・・・散々に
丹羽さんは書いてきたことだが、錯綜する家族の有様をそれぞれ
に着目し、描かれている。
一つ印象に残りそうな作品は、姉の死をめぐって描かれる「贖
罪」だろう。姉は、自分や紋多などを捨てて旅芸人と駆け落ちし
た生母を呪い続けていた。戦前にアメリカ移住をした男性と結婚
し、苦しみの生活を送るが、父親に多くの手紙を書き送り、生母
を恨み、呪っていた。だが紋多は作家である。生母の家では、実
は父と祖母の関係という忌まわしい醜態に原因がある、ことを作
品濃の題材とせざるを得なかった。。姉の生母への呪いも実は
それを知らない、ことに起因していた。その結果、作品を読んだ
姉が支えとした呪いを喪失してしまう。姉の死を聞いて、我が身
の業を思い知らされる羽目となった。
いままで『菩提樹』など、自伝作品を連発した丹羽さんのちょっ
と筆致が変わってきた作品だろうか。もはや自伝小説を書くことで
生きる意味を探求などせず、もう私の人生は完結しております、と
もとれる開き直り、それが痴呆に向かう前兆だったのかどうか。
書きすぎた作家、丹羽文雄さんの到達した怖さというのかどうか。

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