みんな次々に死んでいく、人生は短すぎる
有名人、著名人が次々と死んでいく、その享年はお世辞にも
長生きとはいい難い、75歳突破も実は容易でないのか、と思わ
せるが、身内、親戚でもせいぜい70歳過ぎで亡くなったひとが
何人もいる。もちろん、女性を中心の長寿はあるが、それとて
、どこまでも二桁の年数でしかない、百歳を長寿、超長寿と思
いがちだが、この100年という時間の長さはじつは短い、二桁
に一年足しただけのことである。端的に言えば70歳を過ぎたら、
その後は五十歩百歩の寿命、年数だ。だからどうした、と言わ
れるだろうが、たった70歳でも人によりけりだが、歯を失い、
体が動かしにくく、いやでも加齢を感じさせられる。
ことし亡くなった有名人、著名人は非常に印象深い人が多い
から、この世の、人の儚さを、無常を特に感じさせるわけであ
ろう。有名著名人はさておき、親族と云っていいのかどうか、
非常に仲の良い従姉、従兄弟はさまざまだが、仲がよく昔から
親密という従兄弟は多くはない、実は極僅かである。従姉のご
亭主が今年亡くなっていたとは知らなかった。喪中ハガキが今
日、届き、驚いた。まだ73歳、別に持病などは聞いたことはな
い、三井住友の社長も随分若い、65歳、で膵臓がん、酒席は確
かに多いとは思うが。過剰な飲酒は膵癌の大きなリスク要因だ。
私は15歳で超重症の腎臓病に罹患、それを今持って引きずっ
ている。治ることなどあり得ない、持病と付き合いのみ、だか
か私の場合は、まさしく「一日一生」体調の悪さに耐えて、で
あったから、「何歳まで生きたい」など考えられない人生だっ
た。朝起きて生が始まり、夜寝て終わる、再び起きるかどうか
は存ぜぬことであり、一日をまず生きる、それ以上のものはな
かった。だが深刻な持病でもないと、体調が悪くなければ、人
間、永遠に生きるかの如き、錯覚を覚えてしまい、余計な先々
の心配までしてしまう。無用にケチったり、欲しい物を手にも
いれず、もっともそれもバランス感覚であるが。ケチって一切、
倹約の極みでは生きる意味はない、使ってこそのお金は、真実、
だが限りがあり、いかに賢明に生きるかである。
しかし、・・・・人生とは儚い、儚いとは、人生はしょせん
は夢でしかない、ということだろう。生きる上では絵空事では
ないが、その儚さ、空しさを思えば生存競争、立身出世、地位
や名誉、金や財産も・・・・・本の瞬時の気まぐれのようなも
のだ。有能、無能に汲々としたところで、それがどうした、で
ある。有能なら収入も増えるだろうが、相応の生活をすればい
いいわけで、無能なら無能に徹して生きるべきだと思う。
あらゆる人生論も儚さの前ではさしたる意味もない。一年の
短さに呆れたり、驚くことが多いが、その一年がたった二桁、
それも70年さえ生きられない人もいる、まして80年である。
一度の儚い人生、悠々と愉しむべきである。この機会を逃す手
はない。私の親族だが、歯科医をやりながら夫婦で世界遺産を
回る、という例もある。その経費は莫大だろうが、一度限り
の儚すぎる人生を思えば、望むならそれも正解だろうか。人生
に正解はなさそうだ、ある意味、真面目に生きたらバカを見る。
私などその典型である。
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