小島政二郎『私の好きな川柳』1982,『誹諧武玉川』1750年の句の鑑賞の本、大正文学を材料に述べる

ダウンロード (56).jpg
 小島政二郎、1894~1994,朝風呂を習慣として百歳の長寿
を達成した、・・・・・芥川龍之介が1892年生まれで、弟分
的といってもいい存在だろう。芥川の評伝も書いている、こ
れは面白くも有意義である。

 そこで川柳だが、その由来、歴史だが、元来は雑俳(ざっぱ
い)という文学的なジャンルがあったようだ。俳諧の雑の句か
ら派生したものだ、という。季語も切れ字もないような、一種
の滑稽句の総称だという。滑稽句には前句付、冠付、沓付など
がある。前付句とは点者が「~」という句を出題提示、それに
つづくような句を答える、前句が五七五なら、七七の短い句を
つける、これも厳密な規則もないようだが、前句が七七なら五
七五の句を続ける、寛永三年、1750年に紀逸が『誹諧武玉川』
を出した、紀逸が点者となった前付句から秀逸を選んだもの、
その後、明和二年、1765年、川柳の『誹風柳多留』が出て、
いうならば一世を風靡、で五七五の雑俳を川柳と呼ぶようにな
ったというのだ。・・・・・・『武玉川』と『柳多留』には
似通った句、そのままの句の重複がかなりあるとされる。それ
らは専門的に研究の方々がまた多い、それはそうとして『武玉
川』の句の評価が高いという。それを政二郎さんは評して曰く、

 「『柳多留』の川柳は、底が浅くつまらない。川柳は俳句と
同じで、古いほど面白い。『武玉川』のほうが遥かに面白い」

 だから、なのだ、『私の好きな川柳」は『武玉川』の本なの
だ。

  水のごとく草走る蛇

 政二郎「描写が生きている。感歎する外ない。蛇の体の色ま
で目に見える」

 顔も眉毛も長い神主

  「皮肉でも悪口でもない。強いて云えば、神主を職業とし
ている人の特徴を二つ挙げただけのことだ」

 追人(おって)の中に聟(むこ)になる人


 「聟になる人の平凡極まる人相が見えるようだ」

 なるほど、鋭くも優しい句、ということだろうか。

 『武玉川』の句が優れているというのは、まだ歌仙の付合
の気風があってか、余裕があって、上品なユーモアが漂う、
からだとされるが、政二郎さんはそういう事情には無関心で
、もっぱら小説家の立場から考えているようだ。媒介となる
文学は日本、大正の文学だ。そこで川柳以前の雑俳で滅びた
文学形式が大正文学で蘇った、ということか。

 末尾で

 「今までは遠慮して云わなかったが、一番好きな句」

 として

 やはやはと重みのかゝる芥川

 「芥川と云うのは、昔、在原業平が、二条の后を盗んで駆け
落ちした時、闇に紛れて背中におぶって渡った川だと聞いてい
る」

 と説明し、「私はこの句を読んで、二条の后の蒸すような肉
体を想像する。次に業平が二条の后をおぶったとき、背中と胸
との親しみのないギコチない感触を想像する、・・・どこか
よそよそしかった感触が、少しづつ睦びあって他人行儀でなく
なる。肌から肌への互いのぬくもりが、呼吸を合わせてくる。
・・・・『やはやは』という、僅か四文字の含む内容の豊かさ
に驚嘆する外はない」

 そこまで考える、想像するのはやはりこれが作家の心の感性
なのだろう。
 
 

この記事へのコメント