山下惣一『海鳴り』1972,韓国からの密航者への九州農民のあまりの残虐さを生々しく

この作品『海鳴り』は1973年、作品集『野に誌す』に収録
されていた。その時点で戦後28年経過である。戦後25年目に
大阪万博、日本の高度成長絶期だった。しかし貧しかった戦
後まもなく、昭和20年代は朝鮮戦争特需で経済回復の緒を得
た日本だが、朝鮮半島は戦乱の荒廃の極、韓国からの密航者
が相次いだ、これが北朝鮮の社会主義、計画経済への幻想を
生み、北帰還事業という悲劇を生む要因ともなったことは否
めない。
『海鳴り』は作者、山下惣一さん、昨年2022年に亡くなら
れたが、・・・・・作者が住む村、佐賀県唐津の海辺に上陸
した韓国人密入国者を村の消防団が捕まえる物語なのだ。
この『海鳴り』での密航者数は18人、「土地をぜんぶ売って
、家も売って来ました」と流暢な日本語で言う。
続けて「国帰る、困る、助けてください」
と言いながら、韓国人密航者は慟哭し、喚くように泣き出す。
地面に頭をぬかずけて、幾度も地面に頭を叩きつけ、手を合わ
せて懇願する。
「仕事ください、一生懸命働く、金いらない、一生懸命、働
く、仕事ください」
朝鮮戦争による韓国の荒廃、生活難はすさまじかった。日本
も空襲などの悲惨な状態を経験したが、辛うじて沖縄以外、地
上戦は回避できただけマシだった。
ともあれ、村の消防団は韓国人たちを山に追い詰めて捕まえ
る。一人捕まえれば褒美で酒一升を貰ええるのだ。そのご褒美
目当てで、日本の「農民たち」は喜々として、泣いてすがりつ
く韓国密航者を「泣いたってダメだ」と足蹴にし、暴行を加え
る。これを指揮するのは、もちろん日本の警察だ。
戦前とどこがちがう?戦前は朝鮮半島は日本だった、が韓国
ももはや外国だ、特高らによる暴力的弾圧の体質は戦後も、農
民にまで伝染したのか、今度は旧植民地の人への暴力となった。
戦時下、市民を集めての竹槍訓練、在郷軍人会は権力の末端組織
となっていい気になり、市民を足蹴にし、殴り放題だった。・・
その権力の末端となって弱い存在に暴行を加えて欣喜雀躍だから
戦前の卑しい精神と変わってもいないわけだ。
権力の末端となって密航者を足蹴にし、ご褒美をせしめた日本
の農民も、別な場面で今度は日本社会から足蹴にされる惨めな存
在となった。
唐津の農民はミカンを植えた。農林省の役人によるものだった。
ようやくみかんの収穫が可能となった頃、ミカンは暴落した。市
場からもミカンの受け取りを拒否された、ミカンは腐り果てるの
みであった。率先してミカンを植え始めた人物は、トンネル工事
に出かけて姿が見えない。「わし、もう一生、穴の中にもぐっと
る、外に出たくはなか」と呟いた。
農村、農民の戦後はどうだったか、生々しく現実が描かれてい
る。優れた農民文学、である。
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