人生は絵空事ではないが、どこまでも束の間の夢でしかない


 地球上にいかなる生物が繁栄を極めるのだろうか。過去に
おいては1億6千万ねんも繁栄を極めた恐竜がいる。その中の
一部は鳥類として現在なお繁栄を極めている。恐竜の時代、
恐竜の大絶滅から2億年以上経って、、人類、ホモ・サピエ
ンスなる生き物が地球を支配し、繁栄を極めるなど想像も(
誰か想像するか、という問題はさておき)出来ないだろう。
だがホモサピエンスの地球支配、となるとごく最近からでし
かない、ホモ・サピエンス自体、何時から出現したのか、こ
れも明確にわかるはずはないが、20万年前、ていどだろうか。
だが地球支配となると、お世辞にも長い時間は経っていない。2
恐竜の圧倒的繁栄、極地すら温暖な時代、生物界は一気に種を
拡大した、・・・・・・・。そのたび重なる氷河期、その直近
の氷河期の間氷期から人類の活動がほそぼそと始まった。

 え?何は云いたい?人類の繁栄は怖ろしく短い期間だという
こと、あまりにも儚い。『人新世』何て言葉が乱舞するようで
は、もう人類の終焉も遠くないと思わせる。資源の際限ない、
濫用はエスカレートするばかり、思う存分使える期間は極短い
はずだ。人類の束の間の繁栄に運良く、出くわした現在の人類
は幸福とも言えるが、その時代も長くは続かない。

 生きる、人間が生きるのは絵空事ではない、その生存競争は
すさまじい、万人の万人に対する戦いの世界である。戦いの理
由はこれも際限がない。人間愚と凶悪さはこれまた凄まじい、
生きることは、この上ない修羅場の戦いである。・・・・

 だが生きることが絵空事でありえず、修羅場の何でもありの
戦いであることは真実だが、同時に、人生は全く束の間の夢で
しかないということも真実、すべてうつろう、無意味なことで
しかなく、我が身の意識は消えたら、宇宙も何もかも設定自体
が消えてしまう。死ねば過去も未来もない。人生に絶対的な
、普遍的な価値など求めるほど愚かなことはない、生きること
自体は熾烈な闘争だが、別にその戦いに意味はない、ただ生き
延びるのみ、その人生も実際はたった二桁の年数でしかない。
100年も実質、まず無理で、生きたところで意味もない。こん
な短い人生で金銭資産、栄誉名声立身出世に汲々などおよそ、
バカげたことである。

 ではなにが意味を持つ?全ては無意味、生存の戦いのみ誤魔
化しがきかない、それだけの人生で、わずか二桁の年数の生存
しかあり得ない人間がなにをどう生きる、束の間の夢に意味を
持たせるほど難しいこともない。

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