いつまで経っても「戦艦大和」、「ゼロ戦」から抜け出せない日本人、それを助長のメディア

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 戦後、もう78年が経過した。戦争の実態を知らない人が
圧倒的に多くなった、メディアの記者、編集、みなそうで
ある。よく感じることは、何かといえば「戦艦大和、ゼロ
戦」が引き合いにだされることだ。どうも「戦争に負けて
も『戦艦大和』、『ゼロ戦』のような優れた工業製品を造っ
たことは日本の誇り、戦後の発展の基礎となっている」とい
うニュアンスのもので、本当繰り返し、出てくる。本当に
そう思い込んでいるのだろう。昨日も中国新聞だったか、
「呉で戦艦大和の1.5倍の長さの船が・・・・・」、また日
鉄呉製鉄所廃止では「戦艦大和の鋼材を製造した・・・」
と何かというと、戦艦大和である。

 戦前の、戦中の日本の工業の水準はどうだったのか、で
ある。資源は乏しい、日本海軍最大の悩みは燃料不足だっ
た、不足だったにせよ、それ以前に科学技術、化学技術、
基礎技術が何から何まで遅れていた。日本は最初から最後
でエンジン稼働の要、エンジンオイルが製造できなかった。
そのノウハウ、化学技術がないのである。戦前にアメリカか
ら輸入したものをケチって使い続けた。またレシプロ機の最
重要パーツ、プロペラも遅れていた。フランス人技師が戦前
、日本に来て、そのプロペラ技術の日本の時代遅れぶりに腰
を抜かすほど驚いたという。

 戦艦大和、ゼロ戦への日本人の誤解は多すぎる。

 何よりも海軍は徹底した秘密主義だった。戦前、日本人は
基本的に関係者以外、戦艦大和も武蔵も知らなかった。武蔵
は長崎造船所で建造だったが、市民から見えないように棕櫚
を莫大買い占めて目隠しした。棕櫚が欠乏というので何か悪
事がと警察が捜査に乗り出したほどだった。大和型は戦艦長
門型をベースに設計建造だが、設計思想も旧態然だった。
巨砲を搭載だったがサイズはできるだけ小さく造った。革新
性は見えない。46センチ砲はこれまた秘密で天皇陛下にも秘
密にして、ご質問にも答えなかったという。もし46cm搭載と
公表していたらアメリカも対抗しなくてはならず、パナマ通
過もあって何か対策を強いられたはずだが、それさえなかっ
た。隠せばいいというものではない。

 戦艦大和に革新性はない、バルクヘッドは確かに、だが、
全体として工業製品、造船技術でさしたる点はない。何より
如何に運用、を考えたら極度に年料欠乏の日本で大和級戦艦
など用途がなかった。ガダルカナルに投入していたら、と云
われる程度で、燃料不足と温存の根性で結局、米軍機のター
ゲットとなっただけで巨大な棺桶になったに過ぎない。

 ゼロ戦も、愛称を募集した陸軍機とちがって全く秘密主義
だった、「ゼロ戦」という名称も「零式、れいしき、戦闘機」
という名称もなく、坂井三郎氏によれば「あの飛行機」と呼び
習わしていた、日本の致命傷はレーダーの軽視、また通信技術
の低迷で一旦、ゼロ戦が飛びたてば通信手段はまずなかった。
坂井さんなどはアンテナは全く無意味で折っていたという。重
くなるだけだから。エンジンはアメリカのPWエンジンのコピー
で中島の製造だ。防御装備は軽量化のために皆無だった。中国
戦線の歴戦のパイロットがいるうちは優位に立てたが、それも
長く続かなかった。

 設計の堀越技師はゼロ戦より、前の96式艦上戦闘機をみてほ
しい、という。さらにその前のガル翼の戦闘機、ゼロ戦を最初
見せられた関係者は「うーん大きな戦闘機だ、艦攻みたいだな」
と絶句したという。

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 だが完全に秘匿された戦艦大和型、また海軍の秘密主義のも
とのゼロ戦、戦後になって初めて日本人が知ったものだ、惨憺
たる敗戦の中、「こんなものが日本にあった」という驚き、戦
後は日本は戦艦大和、またゼロ戦の時代が続いている。それで
いいのか、と思わざるを得ない。

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