あゝ、刻々とカウントダウン、実に微妙な気持ち
毎年やってくる誕生日、別に嬉しくもないが、逆に不愉快
でもない、いかに拙くても長く生きること自体が生きた証と
いうものだ。人間は数しれないが、しょせん、与えられた時
間は短い、年数で、基本、たった二桁だ、もちろん特に農村
などは最近、100歳超えは結構いるが、やはり全体からみたら
極少ないとは言える。そもそも人間が100歳以上生きたところ
で意味はない、生きると云って健康だけではだめで生活費、
生活できる体力、何よりもお金がなければいけない。要するに
100歳以上、人間が生きたところで意味はない、ということだ。
私の誕生日は雅子后のジャスト10年前である。有名な野球選手
と同じである。
人間は結局、二桁の年数しか与えられていない、しかも本当
に人間らしく、楽しめて生きられる年数はまた限られそうだ。
つまらない言い方だが、寝ているときや無意味にぼやっと過ご
す時間も長い。悩み苦しむ時間、体調の悪さ、病気で苦しむ時
間もかなり長い、・・・・・・しょうみ楽しく有意義な時間、
は特段に多いとは思えないが、苦しみの中に楽しみを見つける
のも人生の真髄だから、要はごった煮こそが人生、そのごった
煮、ドタバタも瞬く間である。才能もなく要領も悪い人間は、
ただただ苦渋と汚辱の中を彷徨い歩いて時間は過ぎる。業績な
ど何もないに等しい。
結局、あれこれ考えて人生の義務年数は70年と考えるのは妥
当である。これ以前に亡くなるのは早いということだ。で、・・
とりあえず人生義務年数は70年、残りの時間は考え見りゃ短い、
85歳だって生きるのは容易じゃないが、でもあと15年?15年前
なんて、昨日みたいなものだ。まして衰えていく我が身である。
そう考えたら、・・・・・だが私のような若い時代、重病で「
あと一週間」と宣告され、体調不良に身としては、人生義務年数
のクリアーは愉快な気分もしないでもない。どんな偉い人、著名
な人、裕福な人でも時間は同じことだ、何億円も現金を持って、
残りの時間の短さに地団駄を踏むような不幸とは無縁でありがた
い気はする。
当日は京都に行く予定です。新幹線が正常に動きますように。
予定の割烹
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