田宮虎彦『鷺』1953,歴史小説、自信作のようだがあまりに窮屈感も

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 最初は1953年、昭和28年に四篇の歴史小説『鷺』、『島原』
、『大盗余聞』、『悲運の城』と『歴史小説について』という
随想集が合わさった単行本で出ている。その後、文学全集や
文庫本に収載されたこともある。ぞの随想の中でも『鷺』が特
に引用されていて、作者にとっても自信作のようだ。田宮虎彦
の歴史小説といえば維新の動乱で幕府方について勤王に滅ぼさ
れた架空の藩、「黒管」の『霧の中』『落城」が著名である。

 さて、小説の『鷺』は、徳川家康の甥である久松遠江定吉が、
家康の面前で、飛んでいく鷺を弓で射てお褒めにあずかろうと
し、見事に射抜いたが、意外にも「万一、射損じたら弓矢の恥
辱、益なき事に誇るは武士の心得にもあるまじきことよ、きっ
とつつしみしおろう」と罵倒され、それに対し、激高し、腹を
掻っ切る、という話だ。「意固地もの」の定吉と、その定吉に
殉死する近習たち、登場人物の心理はよく表現されている。

 で『鷺』を引用した随想では

 「偉人の行為のあとを追求するのが歴史であり、凡人の行為
のあとを追求するのが小説であるという言葉を聞いたことがあ
る」

 で凡人、定吉の愚行を追求した作品の例が『鷺」ということ
なのだろう。だが、時代に生きた人間を追求するなら、偉人も
凡人もしょせんは淀みに浮かぶうたかた、という点では本質的
に変わるものでもなく、『鷺』についていうなら

 「それが完璧な小説であると仮定するならば、偉大な歴史学
者が追求した徳川家康研究と同じ価値を持つことも、あながち
不可能ではあるまい」

 その自信とともに、気概が感じられる。

 田宮虎彦の歴史小説への考え方、抱負はそれはそれで評価すべ
木とは思うのだが、評伝や伝記と小説もまた区別すべきという
思いが浮かぶ。つまり田宮虎彦の歴史小説が概して非常に堅苦し
く、窮屈でフィクション性、自由さにあまりにも欠けている、と
云うのも否めないだろう。別に田宮虎彦の小説が全てそうだ、と
いううわけではなく、「歴史小説」となると、途端に窮屈になっ
てしまうのだ。作品はおしなべて暗い。

 この本の随想で

 「歴史小説を書く時、書かねばならぬものは、あったままの事
実ではない。あったままがの事実だけからは、その奥に隠された
真実を探り出すことこそ歴史小説家のなすべきことである」

 とも述べて、鴎外があったままの事実を追求し、あるいは歴史
学者の残した史実の空白を埋めようとした努力には敬意を表しつ
つも、不満も述べている。この「真実」を描くには、フィクション
の自由さこそ必要だろう。

 さらに

 「明らかな限りある史実を踏まえて、そこに、その時代に生き
た人間像を描きあげ、それを通じて人間の生きる意味や目的を追
求」

 しようという。これは「読者の想像を超える」困難で苦しい仕
事で生易しいはずもないが、田宮虎彦の精進は窮屈ながらも、ま
ことに立派なものだとは思える。田宮虎彦は歴史の翻弄される、
弱者、虐げられる存在、悲運な人たちを作品のテーマとする。そ
の尊さは立派だが、また視野の広さという点でやや疑問もある。

 

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