感無量の古希、過去の苦難が走馬灯のように、人生、最低限の義務を果たした思い

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 古希なんて云うと、えらくジジ臭く思われるだけだが、私に
とっては感無量、これほど感無量なものとは、・・・笑われる
だけなのは承知しているが。人生のごくごく記憶もないほどの
頃から続いた苦難の数々、ちょっと信じてもらえないと思うよ
うな内容だ。両親とも異常性格、母の異常ぶりは宇宙開闢以来
レベル、・・・・・としか思えないほどのひどさだった。まだ
小2?亭主がちょっと家を出たといって投稿前の私に激しくあ
たりちらしてきた。ちょっと考えて、夫婦の軋轢で小2か、小3
の最初の頃、の幼いといって云い子供に、しかも登校前、激し
く当たり散らす母親がいるだろうか、毒親はいてもあんなひど
い異常性格はいないと思う。兄には絶対、当たり散らさないが。
親から兄弟の中、一人だけ辛く当たられて13歳で家を飛び出し、
毒親のもとに戻されないため、40年以上、洞窟で生活したあの
男性の話も他人事とは思えないのである。

 おまけに15歳で超重病、それを生涯引きずる羽目に、中年ま
では体調が死ぬほど悪かった。何時死ぬかと思い続けてき生き
てきた。私が20歳まえに親は不渡りを堕して夜逃げ、あの街で
典型的な夜逃げなんかやった人なんか聞いたこともない。その
ときも、実はそれからもずっと毒母親は目覚めたように、ことあ
るたびに私に激しく当たった。到底、常識では語れないひどさで
あった。最後の最後でまた、それが噴出してしまった。それは、
あの毒母親が墓穴をほった結果になった。

 とにもかくにも、あまりにの苦難ばかり、頭も悪いし、要領
も悪いとキては人生、何も業績がない。

 だが還暦以降、60代は私に初めて交友という意味で青春が訪れ
た。まったく、苦渋もあったが人生初めての青春だった。逆に
いえば40歳までがああmりにひどかった、孤立無援、友もなく、
親はあのような親、だが生きねばならない。この一心だけで、生
き抜いて、国立大学を二つ卒業、を果たしたのは僅かながら、心
の慰めである。私のような人生を生きた人も、まあいないように
思う、苦労人はいると思うが、特異的な苦難の重層構造というべ
きか、

 だが人生の最低限の義務、70年を生きることは達成できたわけ
である。何の意味もなく年寄りの年齢になったに過ぎない、わけ
ではない。私が生き抜いたこと自体が、口はばったいが奇蹟であ
ると思う。「あと一週間の命」腹水でパンパン、でも病院を飛び
出し、その病気で医者にかかったことはない。別に快調だったか
らではなく、現代医療ではなすすべがない、いけば医原病を発生
させられるくらいだと見抜いていたからである。

 まずは最低の生きるという意味での義務は果たせた、だからこ
そ人生はこれからである。100歳までは養生も重ね、学びをわずか
でも重ねたい。いささかゆとりの気分である。

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