渋川驍『島崎藤村』1964、自伝的作品を鋭くえぐる

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 著者の渋川驍が、昭和3年5月、大学生の頃、日本青年館
で開催されたスルヤ音楽団による日本歌曲発表会で、島崎藤
村によく似た一老人を見た。まさか島崎藤村がこんな音楽会
に来るはずはない、だがもしや、と半信半疑で見ていた。

 スルヤ音楽団は諸井三郎を中心とした新進作曲家によるグ
ループであり、中原中也、河上徹太郎などと親しかった。諸
井は中原中也の「朝の歌」の作曲もあり、島崎藤村とはどう
にもあまり縁はなさそうに思えたが、だが似ていた。

 すぐに確かめる術はなかったが、後年になり、やはりあの
老人は島崎藤村だったと判明した。このような藤村の姿は、
再び昭和10年の暮、ドイツ留学から帰朝した諸井三郎の第一
交響楽の演奏の演奏会(での藤村の号泣の姿となり、再現され
る。とうじ、藤村『夜明け前』を完成、刊行したばかりで
あった。

 このような体験をもつ渋川驍の島崎藤村論は、結果的にそれ
らから大きな影響を受けている。渋川驍は通常の作家論をとら
ず、藤村の自伝的な作品を論じながら、そこに描かれなかった
伝記的事実を列挙し、藤村の社会的な意味での表現の抑制、あ
るいは隠蔽がいかに作品の完成を容易にし、また妨げたかを述
べている。

 作品はほぼ年代順だが、音楽に異常なまでに関心を抱く藤村
に本質を見る。そこから、『家』、『新生』と並び、文明批評
的な紀行文『海へ』を一大傑作とする。これは藤村がパリで好
んで聴いたドビュッシーに触発され、「藤村詩集」以来、眠っ
ていた藤村の詩人的特質がにわかにあらためて噴出したという
が、世に数多い「島崎藤村論」でもユニークさ、鋭さは際立つ。

 他には初期の藤村の詩への外国文学、シェークスピアの「ヴィ
ーナスとアドーニス」の影響を論じた部分、芭蕉の旅の思想を
堅固!に信奉したという点が際立つ。また藤村の国家的体質の
過剰さを厳しく批判している。「生きて虜囚の辱め」が藤村に
よる文章であるなら、歴史的な汚点という。

 作家的視点でのかなり、えぐり出した藤村論だ。

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