人生から得たもの、「気にしない、気にしない」精神だけ


 とりあえずは、人生の最低年限は務めた、感慨は想像以上
に深い、いわば安堵であるが、あまりの苦渋ばかり、悲観的
に表現するなら、慟哭!なわけだが、どうにもならぬことだ。

 なら人生は地獄かと云えば、そうでもない。人生万事、塞
翁の馬で苦虫も甘露となり得る。これぞ人生の妙味で、不幸、
苦渋がいいはずはなさそうだが、ものは考えようでもある。
これも具体的に言い始めたら際限がない。この世に対しては
「疎外してくれてありがとう」と思っている。だから、自在
なマイペースの人生が送れた、まあ、他人がなんと言おうと
、「他人が云うことなんか、クソ喰らえ、何を言われようと
カエルのツラにションベン」などと云うと、えらく豪放な精
神に思われるかもしれないが、いったい全体、これ以外に
とるべき、態度、心的態度はないということだ。

 人生いろいろだから、そんな気持ちになったことはない、
なんて恵まれた人たちも多いが、幸福も不幸も至って逆説
ではある。要は人生は単純ではない、ということだろう。

 この世には、ものものしい人生論が数多く出回っているが、
そんなもの、役に立つこともないだろう。日本の東大、京大
の「仏文」を出て、何が分かるとも思えない。人生はどこま
でも不条理で泥臭く、支離滅裂である。勿体ぶった知的エリ
ートに人生の妙味を教えられる覚えはないわけである。

 そこで出てくる結論、もう無学の徒と言われようと、ただ
ただ、「気にしない、気にしない」である。やれやれとは思
うが、ここに人生の神髄がある、と言わざるを得ない、そも
そも生まれる境遇、時代からして全て偶然の強制なのだから、
合理的な論でかたづくはずはない。何もかも理不尽、努力で
解決を図るのもあまりに限界がある。

 ひたすら、気にしない、気にしない、どうぞご自由に、の
精神以外にはないわけである。

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