開高健『声の狩人』1962,フランス、イスラエル、ソ連旅行記、大江健三郎も交えたサルトルとの会談で締めくくる
開高権さんはこの時期、これ以後もだが海外旅行を繰り返し
ていた。「五度ほど出たり入ったり、この二年半は旅行ばかり
していた」という状況だった。しかもこの時期は特に世界の激
動期だった。
現在もガザ地区侵攻、そのまえのハマスのイスラエルミサイ
ル攻撃で世界のゲ激動の中心地たるイスラエル、だ。ユダヤ人
の故郷として建てられた国イスラエルでは流氓の運命をここで
断ち切ってやってきた、帰郷というべきか、その人たちの生活
ぶりが映し出される。ここで開高さんは、イスラエル政府が、
いわゆる「ユダヤ的」なものの一掃を目指していると感じたの
である。
また個人の自発性を基礎として成り立っている集団農場、キ
ブツについての考察を行っている。開高さんは、容赦なく他国
の核心に踏み込み、その国の人々が質問されても返答に窮する
ような質問を突きつけ、拒否されたりもする。だが、とりあえ
ずの反応を記録している。
だが当時、ソ連のレニングラードでは「押し売り」ならぬ「
押し買い」というべきか、無理やり、服を売ってくれという男
に侵入され、閉口したとか。またソ連は核実験を再開、核兵器
への日本人の反対論をソ連人にぶちまけ、困らせている。
またフランスでは右翼テロに対する抗議デモに加わり、フラ
ンス警察の弾圧の凄まじさを経験する。やはり現実で向いての
体験は、生々しくもある。
イスラエルではアイヒマン裁判が進行中だった。単に命令に
従っただけだというアイヒマンに、人間たることを認めさせる
ことが出来なかったイスラエルの人々の表情がわびしくもある。
最後はパリでサルトルとの会談、やはり当たり前だが、一市
民ではない。ここでも世界の激動情勢に活発に発言を行うサル
トルの思想がかなり明確に示される。開高さんはサルトルの考
えはあまりに単純に割り切り過ぎとの正直な感想を持った。そ
れはあるいは日本人が一般に感じることかもしれない。そんな
に割り切っていいのか、である。無論、開高権さんがサルトル
に単独会談ではなく大江健三郎さんやパリで客死した田中良も
加わっている。結果として田中良の書碑のようにもなっている。
開高権さんの著書では滋味豊か!である。
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