ゲオルギウ『第二のチャンス』筑摩書房、何とも絶望の文学、だが悲劇の羅列の泣き落とし文学に終わっている。
まず作者はVirgil Gheorghiu,ヴィリジル・ゲオルギウ、1926
~1992,ルーマニア生まれ、『25時』は日本国内でもベストセ
ラーになった。戦後、フランスでナチスへの協力を批判された
ことがある。
物語は第二次大戦前、ルーマニア王立士官学校の場面から始
まる。ピエール・ピラとボリス・ボドナルは親友である。
ボリスは幼い頃、過失から弟の眼を傷つけたことで両親から
激しい憎しみを受け、それが要因ともなって人から愛されにく
い青年となり、学校を留年したことを契機にロシアに潜入した。
以上の序章に続く、『ユダヤ人の章』では1940年から始まっ
たナチスのホロコースト、ユダ人絶滅政策が語られる。大女優
のエディ・ターも祖国を追われた一人で、ボリスと同様にロシ
アに逃亡する。ボリスはボリス・ボトナリュックと名乗って、
徹底した共産主義者となった。
大戦中にピエールは法務官として国家の総帥ロシュ将軍の秘
書として活動するが、戦後、ルーマニアが共産化、赤色政権が
成立すると、ブリジョワ司法官として祖国を追われ、戦後の西
独に亡命する。ピエールを追放したのは、大戦中は連合軍後方
のゲリラ部隊の指揮官であり、戦後はルーマニア赤化の立役者
となった旧友のボリスだった。
ピエールは彼と同じく赤色政権の残虐な迫害に耐えかねて西
欧に亡命しようとする多くの同志に向って、「西欧は第二のチャ
ンスを与えてくれる。そこは安全地帯だ」と云った。だがその西
欧も決して安全地帯ではなかった。亡命者には居住の権利も職業
も与えられなかったのだ。飢餓に苛まれ、各地を転々とする日々
が始まった。北米や南米、あるいはオーストラリアの移民募集に
応じ、厳格な試験を経て移住できる者もいるが、しょせんは、
移民は根無し草として最低身分の人間と扱われ、終わりのない苦
難にさらされる。
他方でボリスは南スラヴ国元帥(ユーゴのチトーがモデル)の暗
殺に失敗し、西欧に逃亡、各地を放浪、早くブカレストに戻ろう
とするが、ソ連軍と思い込んで投降した軍は国連軍であった。
放浪中に愛児を殺され、妻も自殺したピエールは義父のコスタ
キー共々、辛酸を舐め尽くし、再び祖国に戻るが、やっと郷里の
村にたどり着いたが国連軍の爆撃にあって死んでしまう。
それ以外に、多くの人物が登場するがイスラエルで老いたる身
を横たえるエディ・タールをはじめとして、ほぼ全て悲惨な最期
を遂げる。
ゲオルギウは何を描きたかった?彼自身が体験した大戦中、戦
後の惨憺たる悲劇的世界の中、弱小民族の虐げられる運命である。
1949年の『25時』とコンセプトは変わらないだろう。世界に向け
、世界の良心に向けて必死の発信を行ったのだ。弱小民族が激動
に翻弄され、殺されていく、それは読者の心を捉える、それは事
実だろう。
しかし、文学としてみれば、はっきり云えば「泣き落とし」の
文学である。悲惨で絶望的な事実の羅列だ。それは事実だったろ
うが、文学性として真実を逆に喪失したのではないか、である。
ピエールの爆死前の「世界の終末が明白でも、自分は今日、林檎
の樹を植える」は空々しく響くのだ。絶望のポーズの向こうに真
実が胚胎しているのではないか。
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