『尾崎士郎短編集Ⅰ』岩波文庫〔緑〕、大逆事件にまつわる作品集

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 大逆事件が起きたのは尾崎士郎が岡崎中学一年の時であり、
大きなショックを受けたという。「武侠」という雑誌が、「
反逆」というタイトルで幸徳秋水らを悪し様に罵倒してして
いるのを読み、「反逆とは」と考えたという。田岡嶺雲の「
明治反臣伝」も読んだという。実際、すでに大逆事件は、国の
でっち上げだという噂は聞いていたという。第一、幸徳秋水の
格調高い文章や詩は好きだった、という。何より人間的な情熱
には惹かれていた。当時社会運動はロマンチックだったという。
その深い関心が尾崎士郎に「大逆事件」に関連する多くの作品
を書かせた。尾崎士郎というと美しき任侠の世界の「人生劇場」
が代表作だが、初期は非常に社会的な作家でのちに保守化した
わけである。なお大逆事件については近年、非常に研究が進ん
で尾崎士郎執筆当時と比べ、格段に真相が明らかになっている。

 大逆事件とは改めて述べれば、別名、幸徳事件と呼ばれ、24
名全員が大審院で死刑判決を受けるという日本近代史での大事
件である。尾崎士郎は早くからこの事件に大きな関心を抱いた。
大学時代、早くもこの事件に取材した『獄中より』を新聞懸賞
小説に応募、入選した。

 大正11年、1922年に当時の総合雑誌『改造』に『獄室の暗影』
が掲載された、これは幸徳秋水が獄中から友人に書き送る手紙
という形式で、その心境を描いたものだ。その他七篇も全て大逆
事件に関した内容だ。

 なにが優れた作品かと云うと『蜜柑の皮』だろうか、一日に11
人も死刑に処され、その処刑の間、教誨師として処刑に立ち会っ
た男の思い出話、として描かれている。死刑囚に最期のご馳走と
して与えられた蜜柑、その皮がうず高くなっていく、という情景
が鮮やかで陰惨を極める。

 また事件の局外にあって死刑に処せられた奥宮健之という人物
に尾崎は非常な興味を抱いている。この奥宮を主人公とした作品
は『残月車会党』、『売られた男』である。自由党の政客だった
奥宮が。政府の弾圧もあって講釈師となり、寄席で講談に名を借
りて政府批判をおこなっていると、寄席も弾圧で営業停止となり、
ついに車夫たちを集めてデモをやるにいたって投獄された話を述
べたものだ。

 『売られた男』は奥宮が落ちぶれて生活に窮迫し、わずかの金
がほしいために、飯野吉三郎を訪ねた。その時の奥宮の話がきっ
かけとなって飯野が政府に奥宮もろとも幸徳秋水一派を売りつけ
ようとして、大逆事件がでっち上げられた、というのだ。

 『大逆事件』は戦後の執筆で最も新しいが、大逆事件の本質、
全容について尾崎士郎自身の考えを述べるものだ。その考えは、
弁護士の言葉を通して明らかにされる。

 「まるで君、きちんと犯罪の枠を作って、その中へ一人づつ
嵌め込んでいったようなものだ」、この作品の最初の部分で、幸
徳と田岡嶺雲が湯河原で同宿している情景が描かれ、突然にその
宿から幸徳が警察に拘引される場面がある。

 時代の推移で尾崎の大逆事件への考えは推移しているのだが、
最もその考えを伝えるのは『大逆事件』である。

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